イスラム文化香るアゼルバイジャンの世界遺産、バクーの旧市街を散策
「コーカサスのドバイ」とも称されるほど、著しい発展を遂げつつあるアゼルバイジャンの首都バクー。
人口200万。コーカサス最大を誇るこの町は、カスピ海で採掘される石油によって発展し、新たな高層ビルや奇抜なデザインのモダン建築が次々に誕生しています。
そんな大都市バクーの一画に残る別世界が、「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」として2000年に世界遺産に登録された旧市街です。
その昔、バクーは二重の城壁に囲まれた城塞都市でした。現在は12世紀に造られた内壁だけが残り、その内側に広がる旧市街は「イチェリ・シェヘル(内城)」と呼ばれています。
新しく建設された奇抜な現代建築群とは対照的に、アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの中継地として栄えた当時の雰囲気を今に伝える旧市街。
砂漠色の干しレンガの建物が並ぶ路地に足を踏み入れれば、中世の時代にタイムスリップしたかのようなひとときが待っています。
バクー旧市街への表玄関の役割を果たしてきたのが、「シェマハ門」。
12~14世紀に造られたこの石造りの門は、かつてシルクロードを行き交った隊商や旅人たちがくぐった門で、旧市街を囲む城壁の一部をなしています。
シェマハ門をくぐれば、いよいよ世界遺産の町並みと対面です。
旧市街には、宮殿やモスク、キャラバンサライといった中世の建造物がそのまま残されていて、屋根のない博物館さながら。迷路のような町並みを前にすると、どこか中東の町に迷い込んだような気分になるかもしれません。
バクー旧市街のシンボルが、「グズガラスゥ」の名で親しまれる高さ29.5メートルの「乙女の塔」。
塔がいつ建てられたものか、何のための塔だったのか、正確なことはまだわかっていませんが、土台の部分は紀元前5世紀に建てられた拝火教寺院にさかのぼるといわれ、現在見られるような姿になったのは12世紀のことです。
「乙女の塔」というロマンティックな響きをもつ名前の由来には、実は悲しいエピソードが・・・
伝説によれば、望まない結婚を強要されそうになった少女がこの塔からカスピ海に身を投げたため、この名が付いたといわれています。
現在、塔の内部は、乙女の塔やバクーの歴史を紹介する博物館として使用されているほか、屋上からはバクーの町並みやカスピ海を一望することができます。
バクー旧市街最大の見どころが、アゼルバイジャン建築の傑作とも称される「シルヴァンシャー宮殿」。
13世紀から16世紀までこの地を支配していたイスラム王朝、シルヴァンシャー王朝のハーン(王)の一族によって、14~15世紀にかけて建てられた宮殿です。
ディワンハーネ(謁見の間)やハーレム、ハマム、モスクなどからなる複合建築で、西欧の王侯貴族の宮殿のような派手さはないものの、調和のとれた土色の建築物群はじつに味わい深いもの。
建物をじっくりと眺めてみると、一見すると質実剛健でも、細部に美を宿すイスラム建築の真髄が感じられることでしょう。
敷地内の庭からは、新旧の町並みが隣り合うバクーならではのユニークな風景も楽しんでください。
バクー旧市街では、迷路のような路地をあてもなく歩いてみるのも楽しいもの。
アゼルバイジャンはコーカサス唯一のイスラム教国ではありますが、その風景はやはり典型的な中東の町並みとは違っています。
砂漠色の建物外壁や幾何学模様の彫刻、モスクのミナレット(尖塔)や、絨毯、チャイやトルココーヒーのグラスといった土産物はイスラム文化を強く感じさせますが、その一方で、アールヌーヴォー風の外壁やドアの装飾、張り出したバルコニーなどは、むしろヨーロッパ文化を感じさせます。
色合いは砂色に統一されていますが、建物の建築様式自体はイスラムとヨーロッパが混在。
アジアとヨーロッパの文化が融合したバクー旧市街の風景は、あたかもアジアとヨーロッパが交差するコーカサスを象徴しているかのようです。
オイルマネーによる発展著しいバクーにありながら、ここだけ数百年ものあいだ時が止まっているかのような旧市街。
かつてのイスラム王朝の栄華を今に伝え、シルクロード都市の面影を残すこの町並みは、これから先バクーがどれだけ変貌を遂げようとも、ずっと変わらずに守られてほしいと願わずにはいられません。
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