天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 麻生太郎・千賀子夫人(上) (2/2ページ)

週刊実話

“好き勝手”が通った少年時代だった」

 一方の千賀子は、生いたちがまるで違う。父の鈴木善幸はのちに首相になったものの、本を正せば岩手県の水産学校を出、漁業組合組織で活躍、この「漁協」を地盤にして社会党から代議士になった。当選後、社会党から自民党へ転じた“異色”でもある。
 その3女である千賀子は日本女子大学を卒業、英語にたけたこともあり、鈴木が首相になると中国外遊などに同行し、政治家の妻たる呼吸、ノウハウを身につけていったものだった。そのうえでの、麻生との見合い結婚だった。

 見合いのキッカケは、麻生が昭和54年(1979年)に衆院議員初当選を飾って当時の宮澤(喜一)派(宏池会)に入り、そこに同派幹部の鈴木善幸がいたことによる。
 それから約4年後の見合いは、東京・世田谷区経堂の鈴木の家で行われた。筆者はのちに鈴木が首相になった直後、さち夫人へのインタビューでこの家を訪ねたが、年期の入った木造住宅は歩くと廊下がガタピシと音を立てるなど、とても現職首相の家とは思えぬ質素なものだったのを覚えている。まさに、麻生宅と比べると“天と地”と言えた。

 さて、この家での見合いは和食による食事会となったが、こんなエピソードが残っている。
 「その席で“ナマコの酢の物”が出た。多くは洋食での生活だった麻生は、なんとナマコを知らなかった。麻生が『これ何て言うの』と聞き、千賀子夫人が『ナマコです』と教えた。これを機に、麻生は夫人が自分が知らないことを知っているということもあり、話が盛り上がった。麻生は結婚直後、『ナマコが取り持った縁だった』と言っていた。夫人は、麻生の『陽気でちょっぴり不良っぽいところがよかった』と言っていた」(当時の政治部記者)

 新婚生活は、ルンルンだったようだ。千賀子は麻生を「太郎さん」と呼び、麻生は普段は「千賀子」だが、ちょっとしたときには「チコ」と呼ぶこともあった。一方で、千賀子はどんなに忙しくても朝は必ずキッチンに立ち、人任せにせず、子供2人の弁当づくり、麻生へのミキサーにかけてのグレープフルーツ・ジュースづくりを欠かさなかった。麻生はこれを飲んで、永田町へ“出勤”するのだった。
 ところが、こうしたルンルンの新婚生活は、わずか1カ月で大きく曲折をよぎなくされた。麻生が、3回目の選挙でよもやの落選となったことによる。さあ、大変だ。「根性妻」千賀子が、その真価を発揮することになるのである。
=敬称略=
(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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