「夏の甲子園第25回大会」伝説の大投手が導いた戦前最後の優勝校は和歌山代表! (2/2ページ)
さらに5試合でヒット以外に外野に飛んだ打球は12本のみ。まさに“天魔鬼神に等しい快投”であった。のちに“5試合連続完封”と“45回連続無失点”は48年第30回大会で小倉(福岡)の福島一雄が達成しているが、決勝戦でのノーヒットノーランに至っては59年後の98年第80回大会で横浜(神奈川)の松坂大輔(中日)が達成するまで、史上唯一の大記録となっていた。だが、甲子園の歴史上、2試合連続ノーヒッターに輝いたのは、今でもこの嶋以外にない。伝説の大投手はこの後、明治大学に進んだが、戦火に巻き込まれ、学徒出陣して戦死。まだ24歳の若さであった。
この時の嶋の快刀乱麻のピッチングを当時、三塁手として見ていたのが、翌年に優勝投手となる真田重蔵(元・松竹など)。真田も、のちにプロで一時代を築くほどの剛速球の持ち主で、40年の第26回大会では平壌一中(朝鮮)を12‐1、準々決勝では京都商を延長12回、4‐3の熱戦を制すと準決勝の松本商(現・松商学園=長野)を3‐1。そして決勝の島田商戦を2‐1の接戦でものにして夏の大会史上4校目の連覇を成し遂げたのである。
翌41年は折からの戦争の情勢悪化のため大会は中止。海草中は戦前最後の夏の甲子園優勝校としてその名を歴史に刻んだのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=