その人気アイドル級!?「武田二十四将」武田信玄に仕え武勇を後世に轟かせた英雄豪傑たち (2/3ページ)

Japaaan

そのニ・全員が一度に揃った事はない

春朗画「武田二十四将絵尽新板」より。

武田二十四将それぞれの生没年を調べると、全員が確実に生きていたのは、1547年(最年少・真田昌幸の誕生)から1548年(板垣信方・甘利虎泰が戦死)までの2年間。

無理矢理みんな集まれない事もありませんが、数え年3歳児と、還暦近い老将が肩を並べていたとは、ちょっと考えにくいところです(仕えていた年代も当然違います)。

つまり、武田二十四将とは「信玄公と、彼にお仕えした歴代の名将たち」という事になります。

きっと「天下に名だたる武田家の豪傑たちが居並ぶ光景を見たい」という人々の願望が、二十四将図を描かせたのでしょうね。

その三・メンバーは必ずしも固定じゃない

宝暦7(1757)年「武門便幼」より。

流石に信玄公が外される事はほとんどありませんが、武田二十四将図の中には、一部顔ぶれの違ったバリエーションもあります。

そもそも「武田二十四将」という役職や称号が信玄公の在世当時からあった訳ではなく、二十四将図を描く後世の絵師たちが、定番以外のメンバーも自由にチョイスしたためです。

有名どころでは、信玄公の嫡男である勝頼公が居たりいなかったり、信玄公の弟である信廉公が中央に鎮座しているバージョンがあったり……等々。

絵師の好み?によるメンバーの違いを見比べるのも、二十四将図を鑑賞する楽しみの一つと言えるでしょう。

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