名前はまだ無い…夏目漱石「吾輩は猫である」のモデルの猫は本当に名無しだった (2/2ページ)
それを見かねた漱石が「飼ってやったらいいじゃないか」と言ったことで、「猫」は晴れて夏目家の一員となったのでした。
この猫を見たあんま(マッサージ)師のおばあさんは、鏡子さんにこう言ったそうです。
「このような全身が真っ黒な猫がいる家には、福が舞い込みますよ」
それが実現したことは、皆さんご存知のとおりです。夏目漱石はその後「猫」をモデルにした小説『吾輩は猫である』を発表し、一躍人気作家の仲間入りを果たしたのでした。
猫の死そんな「猫」は、『吾輩は猫である』の発表の3年後の明治41(1908)年9月に病気で亡くなりました。猫は木箱に入れられて夏目家の裏庭に埋められ、漱石によって表に「猫の墓」、裏に
「この下に稲妻起る宵あらん」
という一句が書かれた墓標が立てられました。
更に漱石は門下生たちに宛てて、猫の訃報を報せる葉書まで送っています。漱石にとっても、いつしかこの猫の存在はかけがえのないものとなっていたのでしょう。
しかし、主人に大きな幸運をもたらした「猫」には、とうとう生涯名前がつけられることはありませんでした。鏡子さんは後に「だってあんな猫、誰も呼びやしないもの」と語っていたのだとか。
「猫」本人がこのことについてどう思っていたかは確かめようもありません。「おいで」と呼ばれているうちに「おいで」が名前になってしまった猫もいることから考えると、もしかしたら「猫、猫」と呼ばれ続けるうちに「自分は『猫』という名前の猫なのだ」と認識するようになっていたかもしれませんね。
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