新庄剛志が最大賛辞を贈るも“記憶に残らなかった”甲子園優勝投手の伝説! (2/2ページ)
この夏の甲子園で44回2/3を投げ、与四死球わずか4という精密機械のような右腕は、カウント2-2からの勝負球を狙い通りに打者のインハイに。次の瞬間、詰まった打球は力なく上がり、三塁手のグラブに収まったのだった。この大会、森尾は全5試合を完投し、4完封。与えた失点はわずかに1。金属バット導入後に45回を投げてわずか1失点という優勝投手は後にも先にもこの森尾のみという“スーパー・ピッチング”であった。
しかし、である。この森尾の快挙を知る人は今では一部の高校野球ファンのみである。なぜか? 実はこの年の夏の甲子園は星稜(石川)の松井秀喜(元・読売など)相手に明徳義塾(高知)が5打席連続敬遠を敢行し、世論を巻き込む大論争が起こっていた。その陰に隠れた形となってしまったのだ。さらに森尾自身も高校卒業後、即、プロには進まず、社会人野球入り。そこで肩やヒジを繰り返し故障し、プロ入りを断念したことで、その名は野球ファンからも次第に忘れ去られてしまっていった。それでも、唯一、森尾の地元・福岡県下では甲子園を沸かせた伝説の右腕として、今でもその偉業は語り草となっている。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=