「日本最大の内乱」が今に残す遺恨 (2/2ページ)

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■今なお影響を残す戊辰戦争の跡

近世史、幕末史の研究者である木村幸比古氏は、戊辰戦争はそれぞれが持つ「大義」のぶつかり合いであったと考える。

新政府と対峙することになった奥羽越列藩同盟は、その結成にあたり結んだ盟約のはじめの一文に「大義を天下に伸ぶるをもって目的となす」とある。そして、この目的は「会津藩の救解」であった。

だが、奥羽越列藩同盟や会津藩に訪れた結末は多くの人が知るところだろう。
北越戦争(長岡城の戦い)、二本松の戦い、秋田戦争、そして会津戦争と敗北が続き、同盟から離脱する藩が続出。また、1868年7月に久保田藩が同盟からの離脱を表明し、一時は同盟軍側の攻撃に危機に陥るも、9月中旬に入り同盟軍が相次いで降伏し、難を逃れる秋田戦争が起きている。

戊辰戦争後、新政府の主軸を担ったのは薩長閥の面々であった。もちろん、「朝敵」とみなされた藩の人々は不遇をかこつことになる。

そして、この150年前の奥羽諸藩の敗北は、今なお影響を残す。
たびたび「県民あるある」などで取り上げられる長州(山口県)と会津(福島県)の確執は、この戊辰戦争が発端だ。
また、今年の夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)で東北勢として初の優勝を目指し、決勝で力尽きた金足農業。そのSNSでの応援メッセージの中に、戊辰戦争に触れるものもあった。

戊辰戦争は1年半にわたって繰り広げられ、京都から北海道という広い地域で戦闘が行われたこと、それぞれの大義をかかげていたことから、多少分かりにくい部分もある。
この記事では戦況図を豊富に用いて説明をする『戦況図解 戊辰戦争』(木村幸比古監修、三栄書房刊)を参考としてまとめている。今なお、その影響を残す150年前の大乱について知ってみる良い機会だろう。

(新刊JP編集部)

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