田中角栄「名勝負物語」 第一番 田中真紀子(3) (2/3ページ)

週刊実話



 二つは、直紀の政界入りに反対したことだった。当時、直紀は日本鋼管のサラリーマンであり、田中としては常に当落のはざまに立たされる政治家より、真紀子が安定した職業の妻であって欲しいとの思いが強かったからだ。

 だが、鈴木家では、直紀を、将来、政治家として直人の跡を継がせたいとの思いが強く、ために“婿入り”には、断固、反対姿勢を崩さなかった。真紀子自身は政治家の妻たるには極めて消極的だったが、一方で「鈴木姓として嫁に行く」と直紀の“婿入り”には反対、前者で父娘の対立となったのだった。

 この“婿入り”問題は、結婚式の当日までもつれ込んだ。田中が、跡継ぎ問題でいかに悩んでいたかが分かるのである。

★号泣、絶句する角栄
 結局、この懸案はそのままに直紀の勤務先の日本鋼管の赤坂武社長が仲人となり挙式、披露宴はホテル・オークラで行われた。しかし、田中はなお挙式直前まで直紀の“婿入り”に固執、式場の別室で直紀に、最後の談判に及んだのである。ここで、ようやく直紀は「よろしくお願いします」と頭を下げたのだった。この背景について、当時の政治部記者の次のような憶測があった。

 「田中は鈴木家と昵懇だった佐藤栄作首相(当時)、赤坂社長らにも根回しして“婿入り”を頼んだとも言われている。結局、鈴木家も呑まざるを得なかったようだ。ただし、直紀のやがての政界入りは田中が呑ませたとされる。“婿入り”について、真紀子は『(田中の)陰謀じゃないの』とも言っていたそうです」

 結婚後、間もなく真紀子は未練を残しながらも女優への道を断念、『雲』を正式退団した。
「舞台を終えて夜遅く家に帰ると、新郎(直紀)がご飯を食べずに待っている。女優と主婦、両立せずを悟っての決断だったようだ」(田中家をよく知る関係者)

 その後、真紀子は1男2女をもうける一方、直紀も旧〈福島3区〉から衆院選に出馬、初当選を果たした。昭和58年(1983年)である。この選挙で、真紀子は結婚前の夫の政界入り反対から一変、積極的に選挙運動を手伝った。
「親父(田中)の血を引いているから、当意即妙の演説は抜群。モンペ姿でたんぼに入って農家の人と握手したりと、演出も巧みだった。
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