天才テリー伊藤対談「宝田明」(2)麻酔もなくて裁ちバサミで手術を!? (2/2ページ)

アサ芸プラス

宝田 家には常備薬のオキシフルとかヨードチンキくらいしかないし、病院は全て閉鎖されているので、ウーウーうなっているしかないんです。やっと3、4日後ぐらいに母親が、軍医をリタイアして満州鉄道で働いていた人を呼んできてくれました。その時はもう傷口は腫れて、膿だらけでした。恐らく、バイ菌が入ったんでしょうね。あと、当時のソ連は国際法で禁止されていた鉛の弾を使っていて、「鉛毒」で肉が腐ってきていたんですよ。これは銃弾を取り出した時、初めてわかったんですが。

テリー わわ、それは聞くだけで痛くなってきます。

宝田 弾を取り出すのも大変でしたよ。イカを干すみたいなポーズで両手足をベッドに縛りつけられて、焼いて消毒した裁ちバサミをブスっと刺されて、麻酔もなしに切られたんです。今でも記憶に残っていますけれど、固い肉の部分を切る時はジョリジョリって音がするんですよ。

テリー 想像を絶する荒療治だ‥‥でも、その先生がいなかったら、破傷風でそのまま亡くなっていたかもしれませんね。日本に帰ってくるのは、それからどのぐらいあとなんですか?

宝田 それから1年半ぐらいですかね。ハルピンの最後の正式な引き揚げというのが始まるんです。その道中もまた大変でね‥‥何も食べるものがないまま半日や1日歩いたり。赤ん坊を連れている人の中には、その子を食料と交換している人もいましたよ。そのほうが、子供が生き残る確率が高いですから。

テリー いわゆる残留孤児ですね。

宝田 おっしゃるとおりです。日本人は利発だし、頭がいい。将来的にメリットがあると思って、現地の人たちも、子供を譲り受けたんだと思います。

「天才テリー伊藤対談「宝田明」(2)麻酔もなくて裁ちバサミで手術を!?」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2018年 9/13号宝田明手術テリー伊藤戦争連載などの最新ニュースを毎日配信しています。
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