山根明「村田諒太、日本ボクシング連盟新会長の内田貞信氏…すべて話します」
強面な風貌と歯にきぬ着せぬ物言いで世間の注目を独占した渦中の人物。気になる騒動の真相をぶちまける!
助成金流用などの問題で、山根明氏(78)が日本ボクシング連盟の会長を辞任することを表明したのは8月8日。あれから1か月、ついに同連盟は新たな局面を迎えた。連盟の臨時総会と理事会が9月8日に行われ、山根氏の後任として、一連の告発を行った「日本ボクシングを再興する会」発起人で、宮崎県連会長の内田貞信氏が新会長に選出されたのだ。
だが、この内田新会長こそ、騒動の最中、山根氏が繰り返し名指しで批判してきた人物だ。会見では、過去に詐欺、強要、恐喝の疑いで逮捕歴があることも自ら公表した内田氏。我々は新会長選出の前夜、山根氏に一連の騒動の全内幕を120分にわたって独占インタビューした。
「内田氏が最初に私にコンタクトを取ってきたのは、今年の3月。連盟の常務理事である樋山茂氏の元に、“山根に会わせてほしい”と連絡が来たんです。用件を聞くと、“連盟の不祥事が週刊誌に載る。それを止められるのは自分(山根氏)だけだ”と言う。詳細は会って話すと言うので、懇意にしている大阪の天ぷら屋で会うことにしたんです。当日、私が一人で店に向かうと、内田氏は女性を一人同伴させ、店も貸し切り状態でした」
そのときの内田氏の話によれば、連盟の理事関係者が刑事事件に発展するようなトラブルを起こしたということだった。しかし、その詳細には触れぬまま、同氏はトラブルを収束させる“条件交渉”に移った。
「内田氏は、週刊誌の報道を止めたければ、群馬県連の中村司会長、内田氏と同じ宮崎県連の菊池浩吉副会長、さらに、『日本ボクシングを再興する会』にも名を連ねていた人物の3名を5月の総会から理事に入れるよう言ってきたんです。来年2月の改選期に、理事会で話し合わなければ無理だと断ると、“山根会長ならできる”と、しつこく言ってきた。内田氏は同時に、自分を近大ボクシング部のOB会の会長にも推薦してほしいと言う。そもそも私は近大のOBではないし、連盟が介入する話じゃないですよ。結局、話は平行線のまま、その日の会食は終わりました」
そして、『日本ボクシングを再興する会』が山根氏及び連盟を告発したのは7月31日のこと。内田氏が自身の“地位”“肩書き”と交換条件にしていた内容が、ようやく明らかになる。
「内田氏は宮崎で不動産関連や夜のお店の運営などのビジネスで財を成した男です。人は金を持って時間に余裕ができると、最後は肩書きを求めるようになる。内田氏は今年の3月に執行猶予が切れたところでしたからね。いよいよ大々的に表に出ていけるというタイミングだったんでしょう。もともと、『日本ボクシングを再興する会』も、当初の会長は内田氏でした。逮捕歴などが表に出ると不利になると思ったのか、途中で鶴木氏(良夫/日本ボクシング連盟新副会長)に交代してるんです。そもそもね、これまでの伝統から言ったら、近大のOB会にしろ、連盟にしろ、長年貢献してきた人間が60代になって、ようやく長の座に就いてきたんです。実績もない40代の人間が突然、なれるもんじゃあない。会食の際には、自分はJOCをはじめ、内閣府やマスコミ関係者にも顔が効くと豪語してましたけど、連盟の会長っていうのは、世界(国際ボクシング協会/AIBA)と戦っていけないとダメですからね」
■タイに行った際、銃で撃たれたことも
取材当日、ボクシング関係者が山根氏に対する誤解を解きたいと同席した。彼によれば、「山根会長が革張り椅子やおもてなし品を要求したことはなく、会場でも水しか口にしていなかった」という。あくまで周囲の忖度にすぎなかったことが、大げさに取り沙汰される。そこに強面な見た目も相まって、“山根独裁論”は加速していったのだろう。
「私はね、連盟の会長職という立場で、給料は一切取ってないんですよ。むしろ、AIBA関係者らが日本に来たときなんて、私の妻の店で無料で接待して、協会の金は一切使っていない。私の生活も、息子と妻に支えてもらってるんです。おかげで、莫大な金をアマボクシング界のために使ってきましたよ。金だけじゃない、命だって削ってきたんです。海外ではね、ボクシングは賭けの対象でしょう? 選手の勝ち負けが観客の懐に影響するんです。一度、法政大学の学生の試合の引率でタイに行った際に、銃で撃たれたこともありますよ。ゴングが鳴ってレフリーが試合を止めた瞬間にタイの選手がパンチを出してきてね、KOになったんです。それでタイの選手が勝ったことに納得がいかず、リングに上がって抗議したんですよ。結果、判定はひっくり返った。そのことに激昂した客が私に向かって撃ったんです。それだけじゃない。客ならまだしも、ギャンブルの対象ということは、興行関係者だって、それなりの筋の人間が多いんです。“殺すぞ”と、背中に銃口を突きつけられたことだってありますよ。私はね、そうやって日本のアマボクシングのために命を張ってきた。
選手だって、そうした体質が残る中で戦わないといけないんですから、強いだけではチャンピオンにはなれません。五分五分だったとき、プロの世界ではドローがあるけど、アマチュアでは各国の審判員が○×をつけて勝敗が決まる。その際、国同士の力関係が影響するんです。金があれば金、なければ、顔がものを言う。だから私は命を懸けて、“男・山根”の顔で日本の影響力を高めてきた。村田(諒太)もよく頑張ったけど、頑張るだけではメダルは獲れない。彼がロンドン五輪で世界王者になれたのは、連盟の力関係が影響したことだって確かなんです」
実際、2012年のロンドン五輪の際、日本の清水聡選手については、アゼルバイジャンの選手を6度もダウンさせながら一度は判定で負け(抗議によって後に覆る)になっている。その理由も、相手国がAIBAに多額の金を支払っていたからではないかという疑惑がある。山根氏いわく、今回の騒動で取り上げられた問題の一つ「奈良判定」のようなことは、世界の舞台では日常茶飯事なのだという。
一方で、世界の“一筋縄ではいかない面々”と対等に渡り合う山根氏に対し、山口組との関係についても注目が集まった。山根氏本人も、テレビ出演の際に、元反社会組織関係者から脅されていると明かしていた。
「一部メディアでは、私が山口組森田組・森田昌夫組長(すでに引退。組も解散)の“舎弟”だと報じられていましたが、盃なんか交わしていませんよ。森田氏とは10代後半のヤンチャしていた頃に知り合って、“アニキ”と呼ぶ仲でしたが、その関係に上下はない。若い頃、私が森田氏の運転手で小間使いをしていた、なんて話も出ていましたが、その頃、運転免許証なんか持ってないですよ。そもそも国籍がなかったんですから、取れないでしょう!」
■最初の妻と結婚したときに日本国籍を取得
朝鮮半島出身の両親の下、戦前の大阪で生まれた山根氏は、6歳の頃に母親の故郷である釜山に帰った。その後、10歳の頃に日本への密入国を試みたものの、2度失敗し、強制送還された経験もある。3度目の挑戦で無事に入国を果たすも、日本国籍を取得したのは最初の妻と結婚した27歳のとき。つまり、その間の十数年間は、無国籍状態だったのだ。
「すでにお亡くなりになられていますが、山口組柳川組の初代組長・柳川次郎さんにお世話になったこともありましたよ。ケンカの仲裁に入ってもらってね。それから個人的に助けてもらっていたことは事実です。私が指導者として関わっていたときに、アマチュアボクシングの日韓戦で資金援助をしてもらったこともあります。ただ、柳川さんからも“アマチュアボクシングで生きていけよ!”と言われてましたから、反社会組織の世界に足を突っ込むようなことは、一切していません」
■力道山が見守る中でリングに
今回の騒動に関する報道の中で、山根氏個人については、反社会組織関係者との交際のほか、“ボクシング未経験では”という点もまた、たびたび指摘されてきた。
「ボクシング経験がないというのは、まったくの嘘です。父親がボクシング経験者で、幼い頃から鍛えられてきましたから。実は、公式戦で戦った記録もあります。1956年に難波の大阪府立体育館で開催された東洋バンタム級タイトルマッチで、レオ・エスピノサと大滝三郎が戦ったんです。その前座で、リングに上がらせてもらっているんですよ。当時は無国籍状態だったので偽名でしたし、日本では16歳からデビューできるので、年齢も一つごまかして出場しました。その試合をリング脇でプロレス界のスーパースター・力道山が観戦していてね。本当はプロレスのほうが好きで、力道山の大ファンだったもんだから、思わずゴングが鳴る前に“大ファンです! 握手してください!”と声をかけちゃいましたよ。さすがに驚かれて“分かったから、試合頑張れ”と声をかけてもらって(笑)。そのときに撮ってもらった写真は、大事に残してあります」
当時、山根氏の父親が大阪・堺にあるボクシングジムの経営に携わっていたこともあり、そのジムで練習をしていたという。“息子をボクサーにする”という父の夢を叶えようと努力を重ねたが、デビュー戦が事実上の引退試合となった。
「試合当日、私は高熱があって、フラフラな状態でした。それでも父は棄権させてくれなかったので、無理やりリングに上がったんですよ。でも、やはり試合ができる状態ではなかった。めまいがしてきて、結局、3ラウンドの終わりで棄権しました。病院に行ったところ、肺結核だったんです。当時、肺結核で死ぬ人が大勢いた中、不幸中の幸いにも、私は1年半入院して生き延びることができました」
■東京オリンピックまで2年を切ったが…
その後は、父親の仕事を手伝いながら、選手たちをサポートする立場でアマチュアボクシングに携わってきた山根氏。ときには家族をも犠牲にしてきた。
「今の妻は、4人目の妻です。2番目の妻と結婚していた頃は、新大阪の近くで、2人で喫茶店をやりながらボクシングの活動に携わっていました。ただ、その活動費を、その喫茶店の売り上げから補てんしていたもんだから、1回に数十万円の金を持っていく。耐えられなくなった妻から“ボクシングか私か選んで……”と言われて、私はボクシングを選びました。妻はある日、私が海外遠征から戻ると忽然と消えていたんです。
12年後に、やっと京都で発見しました。どうも妻は(前述の)森田氏に夫婦仲を相談していたみたいで、“それなら離婚せえ”と、夜逃げする手はずを、森田氏に整えてもらったらしい。そのうえ、妻は詐欺事件に利用されてしまった。それが分かって、彼とは一線を置いたんです。
3番目の妻とは、籍は入っていませんでしたが、妻が母親の介護のために鳥取に帰ることになって、そのときも同じ選択肢を迫られました。結局、そのときも、私は自分の家族よりもボクシングを選んだんです。その結果が今回の会長辞任劇のようなことになり……寂しいもんですよ」
命を張って山根氏が守ってきた日本のアマチュアボクシング。新体制でどう変わっていくのか。東京五輪のある2020年まで、もう2年を切っている。
■山根明前会長 経歴と騒動の経緯
1991年 日本ボクシング連盟理事就任
1995年 AIBA(国際ボクシング連盟)常務理事就任2000年 シドニー五輪日本選手団ボクシング競技の監督を務める
2011年 日本ボクシング連盟会長に就任2012年 理事会全員一致で「終身会長」となる
2015年 成松大介選手への助成金240万円を他の2選手に80万円ずつ配分するよう要求
2018年7月 都道府県連盟の幹部や元選手ら333人が名を連ねた告発状が日本オリンピック委員会(JOC)や日本スポーツ協会などに提出される。
2018年8月 日本ボクシング連盟会長および理事を辞任することを表明