世界的にも少数、日本の左側通行は江戸時代のサムライの作法から始まった?

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世界的にも少数、日本の左側通行は江戸時代のサムライの作法から始まった?

日本の道路は左側通行ですが、世界のなかでは少数派です。2017年現在、世界では76の地域と国が日本と同じ左側通行なのに対し、163の国と地域が右側通行を採用しています。

また、世界の道路の総距離としてみてみると、左側通行が10%に対して、右側通行が90%以上と、明らかに右側通行が主流です。

では、どうして日本は左側通行なのでしょうか。また、日本はいつごろから左側通行になったのでしょうか。

今回は、そんな「左側通行」についてまとめてみたいと思います。

「利き手」と「左側通行」の意外な関係

さて、通行の方向についてあれこれ調べてみると、興味深いことがわかりました。

今から3万年前頃から、世界人口の88〜90%が「右利き」だといわれていて、左利きの割合が右利きより多い民族は世界には存在しないそうです。そして、この利き手と「左側通行」は、意外な関係にありました。

右利きの場合、左側の空間よりも、利き手の右側の空間が広くなるように、位置をとるのが合理的です。

中世以前の旅路は、極めて危険な環境下にありました。そのため、貴族や兵隊ではない一般市民でも、剣や槍などの武器を所持して、盗賊や敵から身を守りながら移動し続けなくてはいけませんでした。

前方から来る敵を迎え撃つには、利き手である武器を持つ右側に敵を回した方が都合が良く、鈍い左側が敵から遠ざかって安全なので、左側通行が原則であったということです。

昔は「左側通行」が主流

世界が左側通行だった最古の証として、古代ローマ(紀元前753年〜紀元前509年)の遺跡から出土したピストン輸送で走っていた荷車の轍(わだち)の跡があります。この轍を詳しく調べてみると、「左側通行」になっていたことが判明しています。

また、古代ギリシャや古代エジプトでも、おおむね左側通行だったことが考古学者や人類学者が明らかにしています。そう、かつて人類の通行の主流は、右側通行ではなく、左側通行だったのです。

世界の通路を90%右側通行にした人物

世界的には中世あたりまでは左側通行が主流だったのに、今日では諸外国のほとんどが右側通行になっています。それは、フランスの革命家、ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)によるものといわれています。

歴史上、ナポレオンは、「史上最大の交通インフラ整備を行った」といわれていて、征服した地域の交通網の開発を積極的に行ったといわれています。

1792年、彼が正式にフランス国内外の右側通行を法令にしたという記録が残っています。

実際、世界地図で調べてみるとわかるのですが、現在でも左側通行を採用している国々のほとんどは、ナポレオンに征服されなかったイギリスと、その植民地だったことがわかります。そういう意味では、日本もナポレオンの支配がなかった国のひとつです。

ナポレオンはなぜ右側通行をルールにしたのか、それを説明する考えとして、「ナポレオンが左利きだったから」という説と「ナポレオンの戦術のため右側通行をとりいれた」という説がそれぞれ主張しているそうです。

日本の左側通行は江戸時代から

では、日本人が左側通行をするようになったのはいつごろからでしょうか。

少なくとも日本人は、江戸時代には左側通行だったようです。そのことを裏付ける文献があります。

江戸幕府五代将軍・徳川綱吉の時代に来日したドイル人医師ケンペルは、当時の日本での見聞の様子について著書『日本誌』に詳細にまとめていますが、それによれば、「日本の道路は清潔に保たれていて、行き先を示す標識が設置され、左側通行のルールが徹底されていた」と日本の道路の充実ぶりに驚いた様子を書き記しています。

江戸時代の日本には狭い道が多く、そこを歩くのに苦労したのが武士たちでした。彼らは左腰に刀を差しているため、右側を歩くと人とすれ違うときに刀がぶつかってしまうことが多く、喧嘩が絶えなかったのだといいます。

この無用な争いを避けるために、侍のルールとして左側通行が定着していったといわれています。

やがて、江戸幕府が終わり、明治時代に入って同じく左側通行の英国と友好を深めるために、左側通行を正式に交通法として定めたそうです。

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