門人には福沢諭吉やあの偉大な漫画家の曾祖父もいた、緒方洪庵が江戸時代に開いた「適塾」ってどんな塾?
幕末の蘭学者・緒方洪庵(おがた こうあん)が大坂に開いた塾といえば、適塾(てきじゅく)。
緒方洪庵は備中(岡山県)の足守藩士の三男で、文政2(1825)年父が大坂蔵屋敷の留守居役になったのがきっかけで、大坂に出てきました。そして、その翌年、蘭学の修行をスタート。
「緒方洪庵肖像」 1901年(明治34年)五姓田義松画
天保2(1831)年には江戸に移り、蘭学医・坪井信道の塾に入ります。翌年には、翻訳書「人身窮理学」を完成。当時有名だった蘭学医・宇田川玄真の所にも出入りするように。
そして…ついに、天保9(1838)年に適塾を開くのです。
適塾(Wikipediaより)
適塾は、基本的に蘭方医学の塾ですが、医学に限定していません。オランダ語を通じて、当時の西洋の知識や技術を学ぼうというのが、真の目的でした。
この塾に一冊しかなかったという辞書「ヅーフ波留麻」は、みんなで奪い合うようにして、見ていたそう。この辞書で、きっといろんなことを学んでいたのですね。適塾に入門したいと、日本全国から多くの人がやってきました。北海道から鹿児島までというから、日本中で有名だったことがうかがえます。
さて、ここの門人には、慶應義塾を開いた福沢諭吉、日本の公衆衛生の基礎を築いた長与専斎、そして漫画家・手塚治虫の曾祖父である手塚良仙もいたとのこと。
あの手塚治虫のルーツの一つが、ここ・適塾でもあったのですね。なんだかそう考えると、適塾への関心がさらに深まります。もっと適塾について知りたい!という方は、手塚治虫の長編漫画「陽だまりの樹」をチェック。
ここに、当時の適塾の様子や、適塾がどんな役割を果たしたかが、描かれています。門人だった手塚良仙は、手塚良庵という名で登場しているので、お見逃しなく。
適塾の門人はどんどん増えて、手狭になり、2階建ての町家で延床面積は約125坪の建物にお引越し。緒方洪庵は、約20年間適塾で、後進の指導に励んだのです。
生活が華美になることもなく、あくまで慎ましく。蘭学を深め、広めることに注力したのですね。この適塾があってこそ、名門「慶應義塾大学」、名作「鉄腕アトム」誕生につながったのかもしれません。
なお現在、適塾の建物は一般公開されています。
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