源頼朝のストレス人生…妻はラスボス、弟は自分より優秀!あぁマジで病みそう(泣)
明治に入るまで日本で約700年も続いた武家政権。その始祖は、言わずと知れた鎌倉幕府将軍の源頼朝です。
そんな頼朝の人生は、実は病みそうなくらい敵だらけで逃げ場のない人生でした。今回はRPGのように次から次へと現れる敵と戦い続けた頼朝の生涯に迫ります。
敵その1、平氏突然現れた奇僧・文覚の後押しによって、伊豆蛭ヶ小島で挙兵した頼朝。意気揚々と京へ攻め上るかと思いきや、平氏側の大庭景近にいきなり敗れるという大目玉を喰います。それでも彼は再起を図り、何度も平氏とぶつかりました。弟の義経は兄のために自ら出陣し指揮をとり、一の谷の鵯越(ひよどりごえ)等の奇策で平氏を打ち破ります。
鵯越の逆落とし『源平合戦図屏風』「一ノ谷」Wikipediaより
敵その2、木曽義仲頼朝がようやく関東の武士たちを平定し、ようやくこれから京の都に入ろうとした矢先、頼朝より先に入京してしまったちゃっかり者がいました。頼朝の力が及ばない北陸を中心に勢力を強めた木曽義仲です。
木曽義仲 Wikipediaより
これには冷静沈着な頼朝もさすがに「まじでか」と驚いたことでしょう。しかし弟である範頼、義経たちが兄のために一肌脱ぎます。2人が率いる軍は宇治川の戦いで義仲を破り、頼朝ギリセーフ。
敵その3、源義経次の敵は他ならぬ義経でした。
「えっ、なんで義経が敵なの!?弟だし、頼朝にめちゃくちゃ尽くしたじゃん!」
と思いますが、この異母弟の義経こそが頼朝にとって最恐の敵でした。鎌倉幕府の開闢を目指す頼朝にとって、イケメン(諸説あり)で気立てもよく人望も厚い義経は、裏を返せば頼朝の権力を脅かしうる一番の脅威だったのです。
そんな義経が、敵がいなくなった途端に邪魔になるのは必定。まさに狡兎死して走狗煮らる……頼朝は義経捕縛令を出し、義経はついに奥州藤原氏の拠点平泉にて自刃に追い込まれます。
こうして全ての危険分子を駆逐した頼朝は鎌倉幕府を開闢し、一般庶民の手には入らない多くの力を得ました。しかしその代わり、一般庶民が当たり前に手にできる多くの幸せを失ったのも事実でした。
ちなみに頼朝は幕府開闢後にも、素直で忠誠心の強い弟・範頼への猜疑心が拭えず、伊豆に幽閉、殺害しました。弟すら信じる事の出来ない頼朝の精神状態は察するに余りあります。
番外編、ラスボス 北条政子さて、源頼朝がその生涯で最も恐れた人物は誰かご存知でしょうか。そうです。彼の正妻、北条政子です。
菊池容斎画「北条政子像」Wikipediaより
そもそも元を正せば没落した源氏である頼朝が挙兵できたのも、政子の実家である北条家の金銭的、軍事的な援助があってこそ。これは頼朝の1番の弱みであり、平素は鎌倉幕府将軍として尊大な態度を取っていた彼も、政子には全く頭が上がらなかったのです。
政子は超男勝りかつ超嫉妬深かったので、好色な頼朝が他の女と過ごそうものならその女を殺しかねない勢いで鎌倉から追い落とし、頼朝に怒りの説教しました。政子は北条家があってこそ今の頼朝がいるのだという耳に痛い話をネチネチ言い続け、その間頼朝はずっと小さくなっていたそうです。
白旗神社内 源頼朝墓所 Wikipediaより
そんな頼朝は今、鎌倉の白旗神社などに祀られています。生前はほとんど心の休まる場所のなかった頼朝、今は存分に心安らかに過ごせている事を願います。
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