セックス・ピストルズの仕掛け人「マルコム・マクラーレン」のパンクな葬儀 (2/2ページ)
4月22日にロンドンで行われた葬儀は、そんな彼の生き様を表すようなものだった。
ラジカセの絵が描かれた棺、その側面には「TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE(生き急ぐな、死ぬには早すぎる)」という文字。これは、ヴィヴィアンと共に経営していたブティックの名前だ。四頭立ての馬に引かれたガラス張りの霊柩馬車が、その棺を乗せて駆け抜ける。その後には、参列者たちが乗る「MALCOM WAS HERE(マルコムはここにいた)」と書かれた2階建てバスが続く。
元パートナーのヴィヴィアンをはじめ、アダム・アント、ボブ・ゲルドフ、ピストルズオリジナルメンバーのグレン・マトロックなど、パンクの生き証人といえる参列者たちが、「KHAOS(混沌)」と書かれたヘアバンドを巻いて目頭を抑えるヴィヴィァンを筆頭に、それぞれ思い思いのパンクエッセンスに満ちた葬儀ファッションで参列。葬列が行く沿道には、モヒカン刈りにレザージャケットのパンクスたちが溢れ、我らがパンクの父を見送った。
棺の中のマクラーレンも、この華やかな一大イベントにさぞ満足していたことだろう。
■パンクスピリッツはどこに
マクラーレンは、ピストルズにプロとしての演奏や歌唱力を求めてはいなかった。ピストルズは、マクラーレンが描くムーヴメントを実現するための道具に過ぎず、たったの21歳でこの世を去ったシド・ヴィシャスは、その犠牲となった気の毒な若者だった。
では、パンクは幻想でしかなかったのか。そうではない。パンクなしには、その後のグランジもオルタナティヴロックも生まれなかった。
「レザージャケットとバイクブーツを死装束にして、さようなら」と遺書に書き残したシドは伝説となり、今もなお世界中のサブカルチャーの中で、そのパンクスピリッツは生き続けている。