東日本大震災ではやむなく土葬もしたというが、そもそも土葬はやむなく行うものか (2/2ページ)
また腐敗し、微生物に分解されていく土葬に比べて潔く、綺麗なイメージがある。このイメージは「穢れ」の思想も含め、また公衆衛生的な意味でも日本における火葬の定着の根幹に流れるものだと思われる。
また、土地の問題もある。土葬には敷地が必要であり、儒家の立場から火葬を批判していた熊沢蕃山(1619~91)も後年は、そういった実務的な観点から消極的にではあるが火葬を容認した。
さらに火葬の場合、骨になって家族の同じ墓に入る。日本人の場合家族と同じ墓に入りたいという感情も強いだろう。同じく「家」を重視する儒教と考えが異なるのは、儒教では長幼の順が厳格であることから、同じ墓に入りたいなどいうのは無礼にあたるのかもしれない。
■人間の故郷は大地である
人間の還る場所はどこかという視点から考えると、火葬におけるに人間の行き先はいわば「天」である。肉体が煙となって空を昇っていく様はまさに「帰天」だ。
一方、土葬においては「大地」である。鈴木大拙(1870~1966)は、天日より大地こそ人間の本質と直結していると述べている。大拙によれば、大地ほど近しい存在はない。我々は常に大地に立っている。
「生命はみな天をさしている。が、根はどうしても大地におろさねばならぬ。大地に係わりのない生命は、本当の意味で生きていない。天は畏るべきだが、大地は親しみべく愛すべきである。大地はいくら踏んでも叩いても怒らぬ。生まれるのも大地からだ。死ねば固よりそこに帰る。天はどうしても仰がねばならぬ。自分を引き取ってはくれぬ。天は遠い、地は近い」(「日本的霊性」 鈴木大拙)
人間が還る場所はどこか。人間は大地に根を下ろす存在であり、生きるために積極的に田畑を耕し、狩りをしてきた。天からは恵みといい、災いといい、いずれも人間はただただ有り難く、時には畏れながら受け取るのみである。
■一方で海に還る散骨はというと…
海はどうだろう。散骨がそうだが、しかし、筆者の主観ではあるが、海に還るのは人間の本義としては、ややずれている気がする。
海から大地に上がり2本の足で立つことから人間の歴史は始まった。むしろ海との決別にこそ人間たる由縁があるのではないか。こうした意味では天よりも海よりも土に還ることこそ人間の成り行きであり、大地こそ人間の還る場であるとも言えるのだ。
■土葬を通じて考える人間の本質
諸事情を鑑みて日本では火葬が最も適してることは間違いない。一方で土葬に対しては原始的で野卑な印象を持ってはいないか。地震大国である我が国はある意味で、世界で最も大地を意識する民族である。土葬には人間の本質に関わる深い意味があるということは知っておくべきことである。それは人間と土、大地との関係である。