バイク事故、暴行事件、独立騒動…ビートたけしとたけし軍団「師弟愛の絆」35年史
- タグ:
-
ビートたけし(北野武)
-
勝新太郎
-
石原裕次郎
-
喧嘩
-
事故
寝る間もないほど仕事をして、寸暇を惜しんでバカ騒ぎ。苦楽をともにしてきた師弟の知られざる“芸人無頼控”!!
東京・赤坂にオフィスを構える芸能事務所『オフィス北野』。その名称から明らかなように、今を遡ること30年前に事務所を立ち上げたのは、大御所芸人のビートたけしだ。「ただ、赤坂のビルに入っていたオフィス北野は、もうありません。11月末に引っ越して、新たな場所に移ったんです。これまで事務所を切り盛りしていた森昌行社長も、11月末に退社しており、現在は一部報道にもあったように、つまみ枝豆さんが社長になっています。オフィス北野の名称も、近日中に『オフィスたけし軍団』に変更される予定のようです」(芸能記者)
師匠・たけしが個人事務所『T.Nゴン』を立ち上げ、オフィス北野から完全移籍したのは4月1日のこと。主の去ったオフィス北野は、マネージャーやスタッフが大量離脱するなど、修羅場を経験している。
「多くのメディアで報じられたように、たけしさんの独立は、ビジネスパートナー兼交際相手で、現在一番の信頼を得ている女性の影響も強かったとされています。独立後のたけしさんは以前とは違い、テレビ番組の収録後はすぐに帰宅するようになったようで、自宅で小説の執筆に燃えているといいます。それまでは、弟子のたけし軍団と定期的に食事をしていたので、彼らは寂しい思いをしているみたいですね」(前同)
師匠・たけしと、その弟子であるたけし軍団の歴史は古い。公式には1983年にたけし軍団が結成されたとされているので、今年で35年の月日が流れたことになる。芸能レポーターの石川敏男氏が言う。
「かつては、石原裕次郎さんや勝新太郎さんが、仲間を大勢引き連れて活動していました。そうした古き良き昭和の芸能界の空気を残している“最後のタレント”が、たけしさんなんだと思いますよ。軍団ができたのも、最初は“俺について来たい奴は来いよ”という考えからだったはずです。自分で作った四谷(東京)の『北の屋』という居酒屋に毎日のように軍団を集めて、夕食会だか、飲み会だか、ドンチャンやっていましたからね。そうやって、食えない軍団にも、飯を食べさせてあげていたわけです」
■ツービートとして漫才ブームでスターダムに
たけしがツービートとして漫才ブームで一気にスターダムに躍り出たのは、1980年のこと。その頃から、たけしに憧れる若手芸人やファンが、周囲に集まりだす。「たけしさんは草野球が大好きでしたから、チームに入れて、そのまま弟子になった人もいます。また、『オールナイトニッポン』で若者のカリスマになっていましたから、有楽町のニッポン放送の前で出待ちをして、弟子入りを志願して軍団に入った人もいます」(前出の芸能記者)
当時のたけしは太田プロダクションに所属していたが、軍団メンバーには、自分のギャラから給料を支払っていたという。「たけしさんは、“ガキ大将気質”なんでしょう。軍団から、“殿”と慕われて持ち上げられるのも好きで、芸人さんであれほど面倒見がいいのは、たけしさんが最後だと思いますよ」(前出の石川氏)
たけしは特に、漫才ブームの直後に弟子入りしてきた初期の軍団メンバーを大切に思っているようだ。「初期の軍団メンバーは、たけしさんの番組に一緒に出演し、お茶の間の人気者になっていくんですが、収録後に説教されることも多かったようです。たけしさんは、“お前ら本気でやってんのか! あんなくだらねえ感じで、これから先、何年も飯が食っていけんのか!”と細かくダメ出しをしたといいます」(テレビ局関係者)
“芸”に対しても、人一倍厳しかったという。「芸がなければ芸人とは言えない、というのが口癖でした。たけしさんは何本もの収録をこなしながら、その間にタップダンスやピアノの練習をしたり、読書していたそうです。特番のネタなども自分で考えて提案していたようですから、スーパーマンですね。じゃ、仕事一筋かというと、そうではなく、忙しい合間を縫って、軍団とドンチャンやったり、草野球をしたりしていたそうです。弟子たちは皆、“殿は、いつ寝ているんだろう”と思ったそうですよ。“自分の背中を見ていたら、お前たちもサボれないだろう”というのが、たけしさん流の教育だったんでしょう」(前同)
この当時のたけしの超人ぶりを示す、こんなエピソードがある。「ラッシャー板前が、たけしさんの運転手をやっていた時代の話です。深夜、たけしをマンションに送ると必ず、“これは勉強になるから見ておけ”と言われて、アニメ『まんが日本史』のビデオを渡されたそうです。たけしさんはその間、仮眠を取るんですが、ラッシャーが面倒くさくなってビデオを早送りすると、奥から“おい、早送りしないでちゃんと見ろ、バカヤロー!”と、たけしさんの怒号が飛んできたそうです。ラッシャーは、殿はどこに目がついているんだろうと、不思議がっていました」(同)
また、こんな話もある。「弟子の一人が新宿で飲んでいたら、“兄ちゃん、薬物買わない?”と、怪しいオヤジが近づいてきたそうです。弟子が“いらねーよ、そんなもん”と言ったら、そのオヤジが“これは上物だよ。たけしも買ってるんだぞ。だから、あいつは、あんなに働けるんだよ”と言ったそうです(笑)。後日、弟子がその話をしたら、たけしさんは“そうか、そうか”と笑って喜んでいたそうです」(同)
■ダンカンと柳ユーレイが2日連続で遅刻して
この時期、たけしは軍団と一緒に各地でコンサートも行っているが、ここでも弟子との秘話がある。芸能事務所関係者が言う。「車山(長野)でコンサートがあったんですが、初日にダンカンと柳ユーレイ(現・柳憂怜)が遅刻してきたんです。それで、たけしさんがブチキレて、2人はもちろん、軍団全員に猛烈に説教したんです」
翌日も同じ場所でコンサートがあったのだが……。「あれだけ怒られたのに、翌日もダンカンとユーレイは遅刻したんだそうです。2人は“このまま遠くに逃げよう”と思ったそうですが、覚悟を決めて会場のたけしさんの楽屋に行ったそうです。すると、たけしさんは、“お前ら、ここまで生きた心地しなかったろ。よく分かるぜ。だから、もう十分だ。ただ、二度とこの気持ちを忘れるんじゃねえぞ”と言ったそうです。殴られてもクビにされても仕方がないと覚悟していた2人は、たけしさんの大きさに感動したといいます」(前同)
■フライデー襲撃事件勃発
濃密な時間を共にすることで絆を深めていった、たけしと軍団。両者の絆が分かつことができないまでに強固になったのは、86年のフライデー襲撃事件だった。当時、取材に奔走していた芸能記者が言う。「フライデーに限らず、写真週刊誌に執拗に愛人と私生活を追い回されていたたけしさんは、“オレはいいけど、オネーチャンは素人なんだから勘弁してくれ”と、取材陣にたびたび申し入れていました。それでも、当代随一の人気者ですから、取材攻勢が止むことはなかった。それで、ついにキレてしまったんです」
その日、深夜3時近く、麹町にあるマンションから、たけしと軍団11人がタクシーに分乗し、『フライデー』の発行元である講談社に直談判に出かけた。「最初は話し合いをするというスタンスだったんですが、編集部に入ると、売り言葉に買い言葉でエスカレートしてしまい、乱闘になったそうです。乱闘開始から5分後、たけしさんと軍団は駆けつけた大塚署の警官に現行犯逮捕されます。ちなみに、たけしさんが消火器を持って暴れたというのは間違いで、軍団メンバーの一人が一度、消火器を手に持ったというだけです」
大塚署に連行される道中、たけしは軍団にこう呟いたという。「悪かったな……。お前らの面倒は一生みるからな」
この師匠の言葉は、軍団全員の心に突き刺さったはずだ。「軍団メンバーは皆、“たけしさんのためなら死ねる”と思ったと言います。事件以降、たけしさんと軍団の信頼関係は絶対のものになったはずです」(前出の当時を取材した記者)
事件の後、7か月の謹慎生活を送ったたけしの傍らには、もちろん軍団の姿があった。「“この謹慎の時期が一番楽しかった”と懐かしむ軍団メンバーもいます。仕事を離れて、たけしさんと四六時中、一緒にいられたからでしょう」(前同)
■「オフィス北野」を立ち上げて一国一城の主に
フライデー事件から2年後、たけしは「オフィス北野」を立ち上げ、一国一城の主となる。「オフィス北野は、たけしさんと軍団のための会社でしたが、芸人はもちろん、俳優や文化人、キャスターも所属するようになり、大所帯になっていきます。映画製作も行うようになり、専門のスタッフも雇い入れるようになりました。今般のたけしさんの独立騒動の一因は、“もともとオレと軍団の会社だったのに、いろんな人間が入ってきて不必要な金が使われている”と、たけしさんが不審に思ったからだとも言われています。たけしさんと軍団の関係の深さを考えれば、この気持ちは分からないでもありません」(同)
オフィス北野を立ち上げて以降は、軍団のメンバーにもそれぞれ仕事が入るようになり、たけしの弟子から“独り立ち”していく。「たけしさんは、軍団が地方局で担当しているレギュラー番組も見ていて、時折、“お前、うまくなったな”などと感想をくれたそうです」(同)
昔のように年中、行動を共にしなくなっても、たけしは常に弟子の様子を気にかけていたのだ。「軍団としては、そういうたけしさんの背中を全部見てきているから、今回、オフィス北野をたけしさんが去っても、“殿”と呼び続けるんですよ。軍団からたけしさんへの男の情であり、ケジメだと思いますよ」(芸能レポーターの川内天子氏)
たけしと軍団――その不滅の師弟関係が、途絶える危機もあった。94年8月のたけしのバイク事故だ。「軍団は数か月、見舞いに行けなかったそうです。ようやく面会がかなって会いに行ったら、たけしさんの顔は右半分が崩れ、ワイヤーが突き刺さっていたとか。それを見て軍団メンバーは、“殿もオレたちも終わりだ”と思ったようです」(前出のテレビ局関係者)
軍団の一人は師匠を喜ばそうと、ナース服姿で、見舞いの品に“バイクのヘルメット”を用意していたというが、病室に入るなり、慌ててヘルメットを隠したという。それだけ、ひどい様子だったのだ。それでも、師匠・たけしは違った。「言葉を失う軍団を前に、“顔中串刺しで、おでんの気持ちが分かったよ”とギャグを飛ばしたといいますから、さすがですね」(前同)
今後も、たけしと軍団の“不滅の師弟”の活躍に期待したい。