超話題のNHK正月時代劇「家康、江戸を建てる」の予習!江戸の金の小判ができるまで(2) (2/3ページ)

Japaaan

そこに「持ち運びに便利なサイズで、額面価格も小さく市場で使いやすい金貨」つまり「小判」が登場すればたちまち大判はお蔵入り、小判が世の経済を回すようになるだろうという魂胆。さすがは家康、ブラックホール級の腹黒さ。彼は大判ばかり造っている秀吉の事を鼻で笑っていたのです。

武蔵小判の完成

家康に小判鋳造を命じられた「庄三郎」は、京都で大判を鋳造していた後藤四郎兵衛のもとで働いていた腕の良い若き職人でした。

こうして1596年に完成したのが「武蔵墨書小判」です。

武蔵墨書小判 Wikipediaより

京都の後藤家の許可が出なかったため、天下の「後藤」の名を墨書する事は出来ず、流通する場所も関八州限定にされてしまいました。その点は庄三郎の誤算ではありましたが、家康と庄三郎のこだわりが詰まった小判が出来上がりました。

日本初の小判は持ち運びやすいように小さくし、利便性を考え1枚=1両、秀吉の大判の1/10の価値に落としました。しかし純金の含有量は秀吉の大判の約75%→約85%にUP。従って金の含有量で考えると、天正大判1枚=武蔵小判10枚ではないんです。

商人はそういう所には敏感で、仮に天正大判1枚を武蔵小判に変えたいと頼まれても「こいつア武蔵小判10枚とは交換できないよ。せいぜい8、9枚だよ。だって金の含有量75%しかないもん」というやり取りになったのです。単純に天正大判の価値が下がったという事になります。

となると関東のみならず関西の商人も敏感に反応して、「天正大判なんて持ってるだけ損!早い所武蔵小判に変えよう」という事になりますよね。こうして世の中には小判のみが流通し、大判は世の中から忘れ去られてゆく・・・というのが家康が描いたシナリオでした。

期待はずれの武蔵墨書小判!?

ところが武蔵墨書小判はなかなか流行りませんでした。

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