祈りから始まる天皇の一日。儀式と礼拝に彩られた平安時代の天皇の暮らしをのぞいてみよう

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祈りから始まる天皇の一日。儀式と礼拝に彩られた平安時代の天皇の暮らしをのぞいてみよう

いよいよ今年は新天皇が即位されますね。

明治天皇から東京に移った皇居。73代もの永い間、天皇が暮らした京都御所。そこでは一体どのような暮らしをしていたのか、気になりませんか。

平安時代の天皇の基本的な暮らしをのぞいてみましょう。

ひな飾りの元になった紫宸殿

まずは「建礼門」。ここは天皇だけが通行できる門です。たとえ皇太子でさえも通ることはできません。

建礼門

およそ25の御殿のなかで格式高い建物は、「紫宸殿(ししんでん)」。高床式になっており、即位の礼など重要な儀式が執り行われてきました。

そこには御帳が張られ、中には八角形の櫓が載った玉座、「高御座(たかみくら)」があります。
御椅子があり、左右には狛犬が守るように居ます。椅子の左右には三種の神器のうち剣と玉を入れる箱が備わります。椅子には「繧繝縁(うんげんべり)」という格式の高い縁が使われています。
高御座には、特の高い王の治世に現れるという鳳凰があしらわれています。

今上天皇の即位の礼では、この高御座は分解され自衛隊のヘリで東京の御所まで運ばれました。もちろん今年の即位の礼でも使用されます。即位の礼で天皇は「黄櫨染御袍(こうろせんのほう)」という最上位の金色の装束を身にまといます。

紫宸殿には玉座から見て左に「左近の桜」、右には「右近の橘」が植えられています。ひな飾りはこの紫宸殿の配置がモデルです。

紫宸殿。左近の桜と右近の橘が見えます

繧繝縁の敷物に座る文部天皇(Wikipediaより)

高御座

繧繝縁に座るお内裏さま。右近の橘と左近の桜が下段にあります

宮殿調度圖解(關根正直)

毎朝祈りから始まる天皇の一日

御所の「清涼殿」。ここは16世紀まで天皇が日々政務を執り行い、また生活の場でもあった個人的な空間でした。

起床はおよそ7時から9時。身なりを整えた後は毎朝、白い漆喰で塗られた「石灰壇(いしばいだん)」というところで火をたき、伊勢神宮の方角を拝み国家安泰を祈ります。

天皇の体は国家そのものと扱われており、穢れや痛みを忌み嫌うので、刃物は厳重に取り扱われていました。また病気の時も鍼など使わず、言霊信仰により血が出てしまったときなどは「汗」と言い替えられたりしていました。。

10時になると朝食。

その後昼御座(ひのおまし)という場所で政務を行います。正午の昼食は儀式の色合いが濃く、30皿近い日本中から集められた食材が並びます。特筆すべきは「目下一尺鯛」。食卓には寸法が一尺の鯛が必ず供されました。

夜は、夜御殿(よんのおとど)と呼ばれる寝室に入ります。そこでは部屋の中にさらに屏風で仕切られており、繧繝縁の畳を二層に重ねられており、初夜は必ずここで迎えることになっています。
それは後年になり生活の場を「御常御殿」に移してからも、変わりませんでした。

天皇が通る廊下は「御拝道廊下」と呼ばれ、臣下が通る廊下とは別になっており、畳には朱の縁が使われています。
風呂は20畳ほどもある板張りの「御湯殿(おゆどの)」で、おつきの女官に湯をかけさせ身を清めます。

清涼殿には堂上公卿(とうしょうくぎょう)と呼ばれる公家のみ昇殿を許されていました。女官もその公家出身の者だけだったと言います。

豊臣秀吉が建てさせた「御常御殿」

御常御殿(おつねごでん)は豊臣秀吉が清涼殿に換わる部屋として建てさせたもの。16世紀以降は、天皇はここに生活の場を移します。

臣下と謁見する場は上段の間といわれ、一段高くなっています。黄金に輝く襖絵は中国の故事が描かれており、床の間の襖絵は狩野永岳(1790~1867)が手がけました。さらにその後ろには、三種の神器の剣が納められた「剣爾の間」。天皇は剣を背に臣下と謁見することになります。もちろんこの部屋は滅多に開けられることはありませんでした。

京都御所は事前申し込み制で見学できます。もちろん昇殿は許されず、庭先から建物を眺めるだけですが、それでも右近の橘と左近の桜を目にしたときは、えもいわれぬ感慨がわき起こりました。

現在陛下がいらっしゃらなくても、その美しさに雅な気持ちに浸れますよ。

京都御所

宮内庁参観案内

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