全国の渡辺さん注目!今も残る「渡辺」という名字のルーツになった土地!

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全国の渡辺さん注目!今も残る「渡辺」という名字のルーツになった土地!

皆さんの名字は、その多くが土地の名前(名地・みょうじ)に由来すると言われています。

今回は、その中でも日本人の約0.84%(約107万人)を占める(※)と言われている「渡辺(わたなべ)さん」のルーツとなった土地について紹介したいと思います。

(※)郵便年賀.jp「ニッポンの名字」調べ。
(※)日本の人口は約1億2,642万人(統計局ホームページ、平成30年12月1日概算値より)

渡辺氏のルーツ・渡辺綱(わたなべの つな)について

初めて「渡辺」という名字を名乗ったのは源綱(みなもとの つな)と言われており、平安中期の武士・源宛(みなもとの あつる)の嫡男として生まれました。

成長してからは源頼光(みなもとの よりみつ)に仕え、後に「頼光四天王(らいこうしてんのう)」の一人として酒呑童子(しゅてんどうじ)退治などで大活躍することになります。

一勇齋國芳「瀧口内舎人 渡辺綱」文政八1825年

さて、そんな源綱ですが、源敦(みなもとの あつし)に養子入りし、母方の故郷である摂津国(現:大阪府北部&兵庫県南東部)渡辺村に移住したことから、「渡辺綱」と名乗るようになったそうです。

余談ながら、綱の一族「嵯峨源氏」ですが、その初代である源融(みなもとの とおる)から代々、ずっと一文字の名前が継承されていて、ここまで徹底していると何だかカッコよく思えてしまいます。

【参考:嵯峨源氏略系図】

源融(とおる)⇒昇(のぼる)⇒仕(つこう)⇒宛(あつる)⇒渡辺綱(つな)……(後略)

※諸説あります。

「渡辺」さんのルーツとなった「名地」は、今でいうとどこ?

さて、その源綱が住んだという摂津国渡辺村ですが、調べてみると、現代も「渡辺」の名を残していました。

「大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺

なんだ、この「渡辺」ってのは?と思いましたが、これは番地に当たるそうで、この久太郎町の番地は1~3番地に加えて「渡辺」という番地があります。

摂津名所図会「坐摩神社」寛政八1796年ごろ

本当は平成元1989年、東区と南区の合併によって中央区が生まれた(再編された)時、渡辺の地名が消滅する筈だったところ、地元に住む「渡辺さん(近所にある坐摩神社の宮司)」が行政などに訴えて、地名を番地として残してもらったのだそうです。

なので、ここに住む方へ郵便を出す時は、宛所に「大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺〇号」又は「〒541-0056 久太郎町4-渡辺-〇」などと書くことになります。

ちょっと手紙とか出してみたくなりますね。

まとめ

安達吟光『大日本史略図会』より「一条戻橋に渡邊綱夜鬼を斬る」明治十八1885年。茨木童子と闘う渡辺綱。

こうして摂津国(現:大阪府)にルーツを持つ「渡辺さん」は「渡航を生業とする」その名の通り、川に海にと大活躍しながら全国に広がっていったのですが、自分の名字の地が今も残っていると思うと、何だかロマンを感じてしまいます。

皆さんの名字は何と言って、どんな由来がありますか?

調べてみると、きっと面白い発見があることでしょう。

※参考文献:
丸山学『先祖を千年、遡る 名字・戸籍・墓・家紋でわかるあなたのルーツ』幻冬舎新書、2012年6月10日 第2刷

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