「徒然草」に登場するフリーダム和尚がとある僧侶につけたあだ名「しろうるり」とは?
世の中、人やモノにあだ名をつけて呼ぶことがありますが、あだ名が本名以上にしっくり来たり、インパクトが強かったりなんて事もしばしば。
しかし、あだ名をつけるにもセンスが要るもので、ただ目立つ特徴だけでは能がないばかりか、あだ名によっては単なる悪口にもなりかねません。
今回は「日本三大随筆」の一つとして有名な『徒然草』から、とある「あだ名」について紹介したいと思います。
主人公・盛親僧都のプロフィール時は鎌倉時代の末期、京都は仁和寺・真乗院(にんなじ しんじょういん)に、盛親僧都(じょうしん そうず)という和尚様がいました。
高い徳と学識を備えているだけでも凄いのに、イケメンで力持ち、書道の達人で弁論の才能にも秀でているという完璧超人ぶり。
【原文】この僧都はみめよく、力強く、大食にて、能書(のうじょ)、学匠(がくしょう)、弁舌人に勝(すぐ)れて……
当然のごとく「宗の法灯(しゅうのほうとう。信仰のリーダー的存在)」として尊敬を集めていたのですが、いささか奇行というか「KY(空気を読まない)」なところがありました。
この盛親、大飯喰らいで芋頭(いもがしら。里芋)が大好き……なだけならいいのですが、大鉢に山盛りの芋頭を所構わずムシャムシャゴリゴリ、それこそ談義の坐(授業の最中)にあっても、教鞭をとりながら喰っていたという変人ぶり。
茹でてホクホク、焼いてゴリゴリ。
【原文】芋頭といふものを好みて多く食ひけり。談義の坐にても、大(おほき)なる鉢にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひながらぞ文(ふみ)をも読みける……
現代でもそうですが、食事をしながら文章を読むという行為はあまりマナーのよいものではなく、言うまでもなく往時もそうでしたが、盛親はいっこう気にしません。
口うるさい輩が何と言おうと、世俗のことなぞ、どこ吹く風と自由気まま。
【原文】世を(かろ)く思ひたる癖者(くせもの。曲者)にて、よろづ自由にして、大方人に従ふといふことなし……
法事などのお勤めで朝廷に出仕しても、自分の食事が来ればさっさと食って、用事がすめばさっさと帰ってしまうフリーダムっぷり。
盛親僧都のフリーダムっぷり(イメージ)。
もちろん日常の食事だって、時間を決めるのは己の腹時計。腹が減ったら深夜だろうが早朝だろうが、勝手に作って勝手に喰って片づける。
眠ければ僧房に閉じ籠もって寝たいだけ寝て、天が来ようが地が来ようが目覚めない。かと思えば、インスピレーションが降臨すれば何日でも徹夜して詩歌を吟ずる……そんなナントカと紙一重な天才ゆえか、不思議と盛親を嫌う(orちょっかいを出す)者は(あまり)いなかったようです。
「しろうるり」って、何なんだ?さて、前置きはこのくらいにして、そんな盛親僧都がある日、ある僧侶を見かけて、こう言いました。
「あやつは『しろうるり』のような顔じゃな」
そばにいた者(以下「甲」とする)がその僧侶を見ると、なるほど言われてみえば、確かにそれっぽい顔をしているような気がします。
「えぇ、確かにそうですね」
甲は適当に話を合わせ、それきり「しろうるり」の話題で盛り上がることもなく、やがてその場を辞しました……が。
「ところで『しろうるり』って、何なんだ?」
知らないならその場で訊けばよかったのですが、何となく知らないと恥ずかしい気がしたし、そもそもあんまり興味もなかったので適当に流してしまった事を、甲はちょっと後悔しました。
こういうことは一度気になってしまうと気になるもので、甲は考え込んでしまいました。
「しろうるり……『しろ+うるり』なら『白うるり』だろうか、確かに色白でのっぺりして何となく瓜(うり)っぽい顔をしていたような気がするが、いやいや瓜じゃなくて『うるり』だから……あるいは『しろう+るり』だろうか……白う瑠璃(るり)?いやいや、それなら白き瑠璃だろう……どうしても一文字が邪魔だが、しかしあの顔は確かに『しろうるり』って感じだったし……(以下略)……」
などなど、延々と考え続けたものの答えは出ず、結局「聞くはいっときの恥……」と決心して、甲は翌日、盛親に訊いてみました。
「若(もし)あらましかば、かの僧が顔に似てん」「あの、すみません。和尚様が昨日おっしゃった『しろうるり』って何なんですか?」
盛親の答えは、実に意外なものでした。
「知らんよ。ただ、もし実在したなら、あやつのような顔じゃろうな」
【原文】「さるもの、我も知らず。若(もし)あらましかば、かの僧が顔に似てん」
つまり盛親は元から「しろうるり」という何モノかを知っていて、昨日の僧侶にあてはめたのではなく、昨日の僧侶を見た雰囲気から、いかにもそれらしい造語をでっち上げたのでした。
(何だそりゃ!真面目に考えて損した!)
盛親僧都ほどの天才だから、絶対何か深い意味があるかと思いきや、単なるジョークだったとは……全力で肩透かしを喰らった、甲の顔が目に浮かぶようです。
しかし、思い返すとあの僧侶は、確かに「しろうるり」としか形容しようのない顔をしていたのでしょう。
菊池容斎『前賢故実』より、吉田兼好。明治時代
その絶妙なセンスが大いに受けて、そのエピソードを伝え聞いた兼好法師が『徒然草』に収録したのですが、「しろうるり」みたいな顔って、一体どんな顔だったのでしょうね。
終わりに古来「名は体を表わす」とはよく言ったもので、人でもモノでも、あるいはコト(事象)でも、ネーミング一つでその印象が大きく変わってくるものです。
既存の言葉でカバーできれば楽なのですが、それが出来ない微妙な対象について絶妙な語感で表現するのは、非常にセンスが問われます。
回の「しろうるり」に限らず、それが「なぜそれが、その名前になったのか」を考えてみると、言葉に込められた「音」の面白さや味わいが感じられ、日本語の楽しみがより一層深まるかも知れません。
※出典:吉田兼好『徒然草』第六十段より。
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