叱られてる内が華?「武士の世」を目指した源頼朝の意識改革と、違反した御家人への悪口雑言を一挙公開

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叱られてる内が華?「武士の世」を目指した源頼朝の意識改革と、違反した御家人への悪口雑言を一挙公開

源氏の嫡男として生を享け、幾多の苦難を乗り越えて没落していた源氏を再興、鎌倉に幕府を開いて「武士の世」を創り出した源頼朝(みなもと の よりとも)公

源頼朝のストレス人生…妻はラスボス、弟は自分より優秀!あぁマジで病みそう(泣)

それまで「公家の地下人(じげにん。召使い)」であった武士を、その軛(くびき)から解き放ったのですが、それには武士(御家人)たちの意識改革が必要でした。

絹本着色伝源頼朝像(Wikipediaより)

しかし、いつの世も改革には困難がつきもの。永らく代々にわたって公家たちに飼い馴らされてきた武士たちの「地下人根性」はなかなか抜けず、頼朝公は朝廷や公家との関係性で、何度も頭を抱えることになります。

義経らの驕りと、頼朝公の怒り

中尊寺所蔵・源義経像。戦国~江戸時代。

時は平安・元暦二1185年。

源九郎義経(みなもと の くろうよしつね)を総大将とする源氏方は壇ノ浦の合戦(同年3月24日)で平家一門を滅ぼしましたが、その手柄に驕って朝廷より勝手に官位を受け、これが鎌倉にいる頼朝公の逆鱗に触れました。

頼朝公はかねてより「朝廷から官位や褒美を受ける時は、必ず頼朝公が朝廷に推薦してから受けるよう」ルールを定め、朝廷の権威を自らに集中させることで御家人らの統率を図ろうとしていたのです。

……にも関わらず、大手柄に浮かれ狂った坂東武者が官位に釣られ、公家どもに餌づけされている様子は、鎌倉に「武家の都」を、そして新たな「武士の世」を築こうとする頼朝公の怒りと呆れを煽り立てるに十分すぎる醜態でした。

それに対する頼朝公の怒りが、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』元暦二年四月十五日条に記されています。

【意訳】
「……お前の中で、勝手に官位を受けたバカ者がいると聞くが、朝廷から直接官位を受けた以上、お前らはもう朝臣(あそん。朝廷の臣=家来)なのだから、せいぜい京都で公家どもに仕えるこったのぅ。
……もし東国へ、具体的には墨俣(現:岐阜県大垣市)より東に来てみろ。職務怠慢としてお前らの所領は没収、その命はないものと思え!

【原文】
「下す、東國侍の内、任官の輩の内、本國に下向することを停止(ちょうじ)せしめ、おのおの在京して陣直公役を勤仕(きんじ)すべき事。
(中略)もし違ひて墨俣以東に下向せしめば、かつはおのおの本領を改め召し、かつは斬罪に申し行はしむべきの状、件のごとし」

頼朝公の怒りはこれに留まらず、自分の推薦もなく朝廷より官位を受けた御家人24名を名指しして、痛烈な面罵と皮肉を食らわせたのでした。

今回はその中から、特に興味深いものをピックアップしていきます。

言うも言ったり、罵倒あれこれ 兵衛尉 義廉(ひょうえのじょう よしかど)

【意訳】
「お前は昔『頼朝なんて将来性がない。仕えるなら木曾義仲だよね!』とか何とか言って、親子で寝返ろうとしていたこと、俺は忘れてないからな!

【原文】
「鎌倉殿は悪しき主なり。木曾は吉(よ)き主なりと申して、父を始め親昵等を相具し、木曾殿に參ぜしめんと申して、鎌倉殿に祇候せば、終には落人と處せられなむとて候ひしは、何に忘却せしむるか。希有の悪兵衛尉かな」

佐藤兵衛尉忠信(さとう ひょうえのじょう ただのぶ)

歌川国芳「名高百勇傳」より、佐藤忠信。

【意訳】
「(お前の元主君である)藤原秀衡の家来が兵衛尉に任じられたことはこれまでなかったが、奥州の田舎武士が身の程をわきまえやがれ、このイタチ野郎!

【原文】
「秀衡が郎等衛府を拜任せしむる事、往昔よりいまだあらず。涯分(がいぶん)を計りて坐(おは)せられよかし。その氣にてやらん。これは鼬(※元字は獣へんに由)にをづる

師岡兵衛尉重經(もろおか ひょうえのじょう しげつね)

【意訳】
「お前がかつて、平家方に味方したことはまぁ赦してやろうと思っていたが、このザマじゃあ奪った旧領は返してやれん。残念だったなぁ(ニヤニヤ)」

【原文】
「御勘當はほぼ免されにき。しかれば本領に歸府せしむべきのところ、今は本領には付け申されじ」

渋谷馬允重助(しぶや うまのじょう しげすけ)

【意訳】
「お前の父(重国)は地元で俺に従ったというのに、お前はあちこちうろついて平家についたと思えば木曽義仲に味方してみたり、義経が上洛してくればまた寝返る無節操。
まぁそれでも数々の武勲に免じて召し抱えてやろうと思ったが、つまらぬ官位を貰ったことで首を斬られるのは、どれだけ無念だろうな?まぁ鍛冶屋に頼んで、首に分厚い鉄板でも巻きつけてもらうこったな!

【原文】
「父在國なり。しかるに平家に付きて經廻せしむるの間、木曾大勢をもつて攻め入るの時、木曾に付きて留まる。また判官殿御入京の時、また前參し、度々の合戦に心は甲にてあらば、前々の御勘當を免し、召し仕はるべきのところ、衛府して頸を斬られんずるはいかに。よく用意して、加治(鍛冶)に語らひて、頸玉に厚く金を巻くべきなり

後藤兵衛尉基清(ごとう ひょうえのじょう もときよ)

【意訳】
ネズミみたいな目ェしやがって、戦場でもただキョロキョロしていただけだろうに、何の奇遇で官位にあずかったンだ?」

【原文】
目は鼠眼にて、ただ候ふべきのところ、任官希有なり」

梶原刑部丞友景(かじわら ぎょうぶのじょう ともかげ)

【意訳】
「声はしゃがれ、頭髪は薄く、後退してまるで爺ィだ。刑部なんてガラじゃねぇだろ!

【原文】
「音樣(こわざま)しわがれて、後鬢さまで刑部がらなし

梶原兵衛尉景貞(かじわら ひょうえのじょう かげさだ)

【意訳】
「合戦の時に武勲を立てたと聞いたから目をかけてやろうと思ったのに、勝手な真似でフイにしちまったなぁ(ニヤニヤ)」

【原文】
「合戦の時心甲にてある由聞しめす。よつて御いとほしみあるべきの由思しめすのところ、任官希有なり」

梶原兵衛尉景高(かじわら ひょうえのじょう かげたか)

緑亭川柳『英雄百首』より、梶原平次景高。

【意訳】
「顔色も悪いし、元々バカだと思っていたが、やっぱりバカだったか。バカめ

【原文】
「惡氣色して、もとより白者(しれもの)と御覧(ごろう)ぜしに、任官誠に見苦し」

中村馬允時經(なかむら うまのじょう ときつね)

【意訳】
あの大ボラ野郎、身の程知らずに官位なんか欲しがるから、本領である揖斐庄を失うとは、哀れなヤツだ。馬允と言うが、あんなヤツに育てられる馬が気の毒だ」

【原文】
大虚言(おほそらごと)ばかりを能として、えしらぬ官好みして揖斐庄云ひ知らず、あはれ水驛の人かな。惡馬細工してあれかし」

豊田兵衛尉義幹(とよだ ひょうえのじょう よしもと)

【意訳】
青っ白いマヌケ面しやがって、あれで兵衛尉だとよ。そう言やぁヤツの親爺も俺が挙兵した時、さんざん呼んだのに来なかったくせして、後から勝ち馬に乗って来たんだったな。バーローめ

【原文】
色は白らかにして、顔は不覚氣なるものの、ただ候ふべきに、任官希有なり。父は下總において度々召あるも不參して、東國平らげられて後參る、不覚か

平山右衛門尉季重(ひらやま うえもんのじょう すえしげ)

【意訳】
「あのふわふわしたマヌケ面が気に喰わねぇ。この野郎」

【原文】
顔はふわふわとして、希有の任官かな」

宮内丞舒國(くないしょう のぶくに)

【意訳】
「お前、以前に大井川を渡る時、声とかガクブル震えてたくせに、随分と偉くなったモンだな、あぁ?」

【本文】
大井の渡において、聲樣まことに臆病氣にて、任官見苦しき事か」

山内刑部丞經俊(やまのうち ぎょうぶのじょう つねとし)

【意訳】
ロクに仕事もしないのに官位ばかり欲しがって、猫に小判だ。この役立たずめ!

【原文】
官好み、その要用なき事か。あはれ無益の事かな

キツい罵声も「愛の鞭」、頼朝公の人間力

……とまぁ、こんな調子で言うも言ったり24名、過去の行状から親の態度、挙句は容姿に至るまで散々なけなしっぷり。

(※厳密には、名前の下が空欄だったり、右に「同じ」とだけ書かれている者もおり、個々に対する頼朝公の怒り度合いに温度差を感じます)

それにしても、よくまぁここまで御家人ひとり一人を見て・覚えているものだと呆れるやら感心するやら。

けなす時は感情むき出しでけなすけれど、平素から御家人たちに目を向けて、心を寄せて来たからこその「愛の鞭」。

そんなところも、御家人たちから慕われた頼朝公の人間的魅力なのかも知れません。

共に「武士の世」が描けるか?

……しかし、空恐ろしいのは、これだけ御家人みんなに罵声を浴びせていながら、勝手に官位を受けた筆頭格である筈の義経に対する批判は元より、その名前すら書いていない事です。

これを「さすがの頼朝公も、弟には若干なりとも遠慮があった」と見るか、あるいは「もはや罵声すらかけない≒もう見棄てるつもりでいた」と解釈するかは微妙なところです(たぶん後者でしょう)。

少なくとも、他の御家人たちに対する罵声は「お前らしっかりしろ!目を覚ませ!」という叱咤激励でもあり、よく「叱られている内が華」と言いますが、まさしくそれを感じます。

※実際、この時に罵倒された御家人たちは、後で何だかんだ言って赦されています。

義経は、頼朝公の思い描く「武士の世」が理解できず、あくまでも武士は「朝廷≒公家に仕えるべき存在(地下人)」と考え、そうした価値観の相違が兄弟の訣別を招き、やがて悲劇を生み出したのかも知れません。

※参考文献:『全譯 吾妻鏡 第一巻』新人物往来社、昭和54年8月20日 第四刷

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