きっかけは仏教の解釈を巡るケンカ?天台宗と真言宗の開祖は犬猿の仲だった
平安時代の僧侶によって開かれた日本仏教の2つの宗派
仏教は、現在の日本に広く広まっている宗教です。インドでお釈迦様によって開かれた仏教は、その後考え方の違いによって大乗仏教と上座部仏教の2つに分かれました。
日本の仏教に海外の仏教…日本だけでも宗派がいろいろ。いったいどこがどう違うの?このうち日本に入ってきて広まったのは、大乗仏教の方でした。
大乗仏教は現在、さらに多くの宗派に分かれていますが、その中でも平安時代初期に唐に渡った僧侶によってそれぞれ開かれた宗派が「天台宗」と「真言宗」です。
エリート2人はともに唐で仏教を学んだ日本で天台宗を開いた最澄と、真言宗を開いた空海は、ともにエリートと呼ぶにふさわしい経歴を持った僧侶でした。
現在の滋賀県大津市に生まれた最澄は、12歳で近江国分寺にて出家し、19歳のときに奈良の東大寺で「具足戒」を受け、国から正式な僧侶と認められました。
これは当時の僧侶としては、まさにエリートコースです。
そして804(延暦23)年に遣唐使として唐(現在の中国)に渡り、天台教学・禅・密教などを学んで帰国し、日本での天台宗の確立のために活動しました。
天台宗の寺院・比叡山延暦寺の根本中堂(国宝)と回廊(重文)/画像出典:Wikipedia
一方、現在の香川県善通寺市で地方豪族の家に誕生した空海は、18歳のときに京の官僚養成機関である大学寮に入った、いわばエリート官僚候補生でした。
ところが、天才だった彼には大学寮での勉強ではもの足りなかったのでしょうか?19歳頃から山林での修行を始め、その数年後には「俗世の教えは真実ではない。仏教こそがいちばん優れた思想だ」と悟り、エリートコースを捨てて突然出家してしまいました。
その後も空海は山林修行を続け、仏教思想を幅広く学んだと言われていますが、30歳で唐に渡るまでのことははっきりとは分かっていません。
唐に渡った空海は、「密教」と呼ばれる仏教経典に文字としては残されていないお釈迦様の教えを学び、日本に帰って真言宗を開きました。
真言宗の寺院・安養寺 (岡山県倉敷市)の境内/画像出典:Wikipedia
平安仏教の開祖2人は、なんとケンカ別れ!?仏教界の2人のエリートは、一説には唐に渡るときに同じ船に乗っていたとも、帰国後の日本で交流があったともいわれています。
その一方で、この2人はケンカ別れをした、または犬猿の仲だったという説もあります。
実は最澄は、自分の教理には足りないものがあると感じ、空海に対して「密教の経典を貸してほしい」とお願いしたり、弟子入りを願い出たりしたことがありました。
しかし空海は「密教の奥義とは自らが修行を積んで体得すべきもので、経典を読んで理解できるようなものではない」というのが持論だったため、2人の関係はだんだんと険悪になっていったのでした。
その後最澄は、自身の1番弟子が空海の弟子になり、さらに奈良仏教の宗派からの迫害を受け、最大の後ろ盾となっていた桓武天皇までも亡くなるという試練に見舞われます。
822(弘仁13)年に、最澄の開いた天台宗は国からの勅許を受けましたが、その日は彼の没後7日目でした。
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