まさに明治・大正時代のスカイツリー!?日本初エレベーターも設置された「浅草凌雲閣」って知ってる? (2/2ページ)

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現代人には当たり前のエレベーター。日本で最初に設置されたのがこの凌雲閣でした。凌雲閣のエレベーターは1階~8階に2つ設置されました。エレベーターには窓があり、壁3面には座布団が敷かれた腰掛が付いていました。

しかしこのエレベーター、開業日からいきなり故障…!翌年には落下防止装置が不十分という理由で使用中止になってしまいました。大正3年(1914)に使用が再開されますが、それまでの間は当然、階段を上っていました。

12階まで階段で上るなんて普通の人だったら、聞くだけで嫌になってしまいますよね。そこで、客足が遠のくことを避けるために企画されたのが、階段を上りながらのミスコンでした。4階から7階までに芸者100人の写真を貼り、来場者は階段上りながらその写真を見て投票する「東京百美人」という企画が始まったのです。

これで本当に人が集まるのか・・・という感じですが、客足はなんとか確保されたそうです。ちなみに、この「東京百美人」は日本で最初のミスコンでした。

倒壊。そして現代によみがえった凌雲閣

大正12年(1923) 9月1日、強い揺れが関東地方を襲いました。関東大震災です。死者行方不明者は10万人を超え、帝都・東京は甚大な被害を受けました。

この地震で凌雲閣は8階から上が倒壊し、それより下の階も傾いてしまいました。再建も検討されましたが、最後は経営難だったため、そのまま解体。その後、凌雲閣の跡地には劇場が建てられ、凌雲閣は人々の記憶として残されました。

しかし2018年 、浅草のビルの建設現場から凌雲閣の基礎部分である煉瓦が発掘されました。ビルの建設はそのまま続けられましたが、竣工したビルの壁面には凌雲閣の姿が。「凌雲閣を多くの人に知ってもらいたい」という事業主さんの意向により、塩ビフィルムに印刷された凌雲閣の浮世絵がビルに貼り付けられたのです。倒壊のため姿を消した凌雲閣でしたが、こうして現代に再び姿を現したのでした。

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