長嶋茂雄、野村克也、張本勲「血と涙の恩讐60年」

日刊大衆

画像はイメージです
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 “グラウンドでは紳士でなくてもよい”。現在、自宅でリハビリに励む巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄氏(83)は、系列紙の紙面で、5年ぶりのV奪還を目指すチームに、こう檄を飛ばした。

「檄文はミスターには珍しく、熟考の末にひねり出したものだといいます。ミスターは“甘っちょろい考えは無用。勝つために手段を選ぶな”と訴えたわけです。天衣無縫に見えるミスターですが、実際はすさまじい闘志の持ち主。昨今の選手には、ミスターのような一流選手が秘めていたような“勝負師の魂”が欠けているように思いますね」(ベテランのプロ野球記者)

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 長嶋氏、野村克也氏(83)、張本勲氏(78)は、同時代の選手。皆、球界を代表する超一流の選手だが、その人生は波乱に満ちている。

「張本さんは、在日韓国人として戦中の広島で生まれ、被爆を経験しています。姉を原爆で失い、幼少期に右手を大火傷するというハンデを背負いながら、球界で活躍し、3000本安打を達成したんです」(前同)

 張本氏は、「プロになって家族に楽をさせてやりたい」という一心で球界に飛び込んできたというが、これは野村氏も同様だ。野村氏は自著『私のプロ野球80年史』(小学館)で、こう告白している。

〈三歳のとき、日中戦争に出陣した父親が中国で戦病死した。女手ひとつで三歳上の兄と私を育てていかなければならなかった母親も、無理がたたったのだろう、私が小学二年生と三年生のときに二度大病を患い、一家は極貧といっても過言ではない状況に陥った〉

 野村氏は家計を助けるため、幼くして新聞配達に精を出したという。

「京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)に生まれたノムさんの実家は、野村商店という小さな雑貨屋を営んでいたといいます。それが父親を失ってしまった。さらに、母親も子宮がんを患ってしまう。ノムさんは粗末な弁当を同級生に見られるのが嫌で、学校では隠れて弁当を食べていたそうです」(球界関係者)

 そんな中で、野球に出合った野村氏は、高校に進学してプロ入りする夢を描いた。しかし、母親から「中学を出たら働いてほしい」と懇願されたという。

「ハリさんも家計が苦しく、兄の援助によって高校に進学していますが、ノムさんの場合も同様で、秀才だった兄が大学進学を断念して、ノムさんを高校に行かせてくれたそうです」(前同)

 しかし、高校に進学しても苦難は続く。

「ハリさんの場合は、暴力事件に巻き込まれ、濡れ衣を着せられ甲子園に出場できなかった。ノムさんは、そもそも野球ではまったくの無名校だったので、プロスカウトの目に留まることはありませんでした」(同)

 自暴自棄になった張本氏は一時、ケンカに明け暮れたという。野村氏もプロ入りを諦めて就職を決めたが、野球部長がプロ球団に手紙を出し、野村氏を売り込んでくれた。

「興味を持って夏の甲子園の予選を見に来てくれたのが、南海の鶴岡一人監督で、ノムさんは鶴岡さんの前でホームランを打ったんです」(球界OB)

 野村氏は南海の入団テストに挑戦し、契約金なしの月給7000円でプロ入りしている。1954年のことだった。

「当時の銀行員の初任給が6000円弱ですから、決して高い給料ではない。しかも、ノムさんは給与から寮の部屋代、食事代の4000円を差っ引かれ、母親に仕送りもしていたそうですから、カツカツの生活だったはずです」(前同)

 58年に巨人に入った長嶋氏は契約金1800万円、翌59年に東映に入団した張本氏が同200万円を手にしているため、野村氏の境遇が、いかに過酷なものだったか分かる。

「ノムさんは1年目シーズン終了後、球団からクビを言い渡されますが、悲しむ母親の顔が浮かび、球団職員に“クビなら南海電車に飛び込む。給料なしでいいから、あと1年やらせてくれ”と頼んだそうです」(前出のベテラン記者)

 そこから、死ぬ気で野球に取り組んだという野村氏。

〈練習が終わってみんなが休んでいるときも私はひとり、バットを振った。(中略)砂を詰めた醤油の一升瓶をダンベル代わりに筋トレをし、パワーをつけようとした〉(前掲書=以下同)

■「幻の長嶋南海入団事件」の真相

 特訓の甲斐あって、3年目のシーズンはレギュラーに定着、快進撃が始まる。

「57年シーズンには打率・302、30本塁打、94打点をあげて南海の主軸になると同時に、パ・リーグを代表するスラッガーに成長します」(ベテラン記者)

 守備の要の捕手でありながら、大活躍を続ける野村氏の前に強敵が現れる。“ミスタープロ野球”こと長嶋氏だ。野村氏は、長嶋氏や王貞治氏、そして球界の盟主を自認する巨人にコンプレックスを抱き続けていたという。

〈なにしろ、長嶋や王がバッターボックスに入って来るだけで、マスク越しに私は思ったものだ。「かっこいいなあ……」〉

 1975年5月13日、ロッテ戦で2500本安打を記録した野村氏は記者陣を前に、こう呟いた。

「長嶋君はひまわりの花です。対して私は、日本海の浜辺に咲く月見草です……」

 有名な“月見草発言”だが、これは野村氏の本心だと球界関係者は証言する。

「いくらノムさんが三冠王を獲ってもホームランを打っても、話題になるのは巨人であり、ONでしたからね。悔しかったはずです。それはハリさんだって同じ。東映の試合は閑古鳥。パ・リーグ時代は、巨人やONに対して忸怩たる思いがあったはずです」

 当時は“人気のセ、実力のパ”と言われていたが、これは「巨人のいるセ・リーグに負けてたまるか」という、パ・リーグの選手の意地だったのだ。

「ですから、パ・リーグの選手は、セ・パが激突するオールスター戦に死に物狂いで臨んでいました。オールスター戦の前日、ハリさんはマスクをかぶるノムさんに電話をかけ、“ONには絶対に打たせないでほしい!”とハッパをかけていたそうですからね」(前同)

 現役当時は、打倒巨人、打倒ONで共闘していた野村、張本の両氏。だが、2015年に思わぬ遺恨が持ち上がる。

「7月13日の巨人-DeNA戦を解説していたノムさんが、話の勢いでハリさんを“守備はいないも同然。ピッチャーゴロを打ったら走らないで打席からUターンをする”と揶揄。さらに、“TBSの朝の番組(『サンデーモニング』)で選手を批判しているけど、お前に人のことを言う権利があるのか”と続けました。ノムさんらしい皮肉ですが、これがハリさんの耳に入ったらしく、激怒したようです」(スポーツ紙デスク)

 とはいえ、翌年にはドラフト会議を先取りする番組で共演。仲良く互いの野球論を戦わせている。

「2人とも巨人に憧れて野球を始め、苦労してプロで這い上がり、ONの背中をパ・リーグから見ていた。野球理論に通じ、舌鋒鋭いところも同じ(笑)。ノムさんとハリさんは似た者同士なんだよ」(別の球界OB)

 張本氏は後年、監督に就任した長嶋氏に招かれて巨人に入団。大活躍して、巨人の日本一に貢献する。

「そういった意味では、ノムさんのほうが巨人やONへのコンプレックスは強い。そもそも、ノムさんはミスターが南海に入団すると思っていたわけだから、なおさらでしょう」(前同)

 世に言う“幻の長嶋南海入団事件”。当時を知る関係者は、こう明かす。

「南海が立大OBの大沢啓二さんを使って、ミスターと杉浦忠さんにずっと小遣いを渡していたのは有名な話。飯を食わせて、ソープランドに連れて行き、最後に過分なタクシー代を渡す。それで2人とも南海入りを決意していたんだけど、南海が契約金から、それまでの小遣い分を引くと言ってきたから怒っちゃった。なんてセコい球団だと(笑)。それで、杉浦さんがミスターに“オレは南海に行って大沢の兄貴の顔を立てるから、お前は好きなところに行けよ”と言ったとか」

 本来ならば、野村氏と長嶋氏は、同僚になっていたはずなのだ。

 現在発売中の『週刊大衆』3月25日号では続けて、長嶋氏、野村氏、張本氏の球界レジェンド3人を特集。ミスターの「ノムさんに負けると悔しい」と発したという貴重な証言などを掲載している。

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