正室VS側室!6代将軍・徳川家宣 時代の大奥が史上最強にドロドロすぎた件 その1 (2/2ページ)
天英院は鍋松誕生の2年後には再度お須免の方に虎吉という男の子を生ませていますが、その虎吉もすぐに亡くなります。
家宣死去で最年少将軍誕生!そして事件が起こります。その翌年正徳2年(1712)には他ならぬ家宣自身がインフルエンザでこの世を去ってしまうのです。つまり、家宣の子供は鍋松ただ1人を除いて全員が早世してしまったという事になります。
この時、鍋松は数えでわずか4歳。翌年の正徳3(1713)には5歳でやむを得ず元服し、名を家継と改めて7代将軍の座に就きます。後にも先にも史上最年少の将軍が誕生した瞬間でした・・・!(その2に続く)
参考文献:堀口茉純「TOKUGAWA15」草思社
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