【追悼】「北尾さんがいなければ僕は…」“プロレスラー”北尾光司さん逝去に弟子の望月成晃、高田延彦氏が悼む (2/3ページ)
早すぎますよ」とツイッターで悪い印象がなかったことを明らかにしながら、早すぎる死を悔やんでいる。田中リングアナが書いているように、当時の現場監督だった長州力と衝突したことから、新日本を離れ、メガネスーパーが同年に旗揚げした新団体SWSへ。大相撲の先輩である天龍源一郎氏を慕って入団となった。天龍氏とは憧れだったWWF(WWE)のリングにも上がっている。だが、ここでもジョン・テンタ(元大相撲力士)を相手に不可解な反則負けを喫した上に、暴言を吐いたことから解雇されてしまう。
新日本、SWSと続けて解雇されてしまった北尾さんは、総合格闘家への転身を模索。そこで声をかけたのがUWFインターナショナルだ。1992年10月に高田延彦(現RIZIN統括本部長)氏との『格闘技世界一決定戦』が実現。この試合で北尾さんは高田氏のハイキックにKOされてしまい、高田氏が最強神話を築くキッカケになる試合となった。高田氏は自身のインスタグラムを更新し、「元横綱の北尾光司さんが亡くなったとの一報を聞いて茫然とした。あの北尾光司がまさか55歳の若さで逝ってしまうなんて今でも信じられない気持ちだ。いつか再会して言葉を交わしたいと思っていたが叶わなかった。本当に残念でならない。心よりご冥福を祈ります」とお悔やみの言葉を送った。
1994年には格闘技塾、北尾道場(後の武輝道場)を設立。再び天龍氏のもとに戻り、WARに参戦。この時、北尾さんに弟子入りしたのが、ドラゴンゲートの岡村隆志前社長、望月成晃、フリーのTARUなどがいる。望月はプロレスリング・ノアの試合前に訃報を知ったそうで、「試合直前に知りました 北尾さんは引退されてから、プロレス界とはほぼ断絶されていたので、僕もお会いする事はありませんでした ただ一つ…間違いなく言えるのは、北尾さんがいなければ、僕はプロレスラーになれなかったという事です 心よりご冥福をお祈りいたします 合掌」とツイッターに悼む言葉を綴った。高田対北尾を見てプロレスラーを目指した望月にとってはショックが大きかったようだ。
その後はPRIDEやUFCなど総合格闘技での活動が目立ち、高田対ヒクソン・グレイシーが行われた1997年10月の『PRIDE.1』東京ドーム大会では、ネイサン・ジョーンズを相手に総合初勝利。