伝説の「平成・春のセンバツ対決」二松学舎に松山東が成し遂げた“下克上” (2/2ページ)
これで俄然有利になったと思われたが、東京の強豪はここから反撃を開始。その裏に安打と四球で一死満塁と松山東のエース・亀岡を攻めると6番・今村大輝がまず2点適時打。さらに8番を打つ大江がみずからの失点を帳消しにする適時中前打を放ち、たちまち4‐4の同点としたのである。
だが、追いつかれても松山東ナインの心はまったく折れていなかった。直後の7回表に安打と四球を絡め、一死一、二塁のチャンスを作ると3番・酒井が左翼線に適時打を放ち、三たび勝ち越し。この貴重な1点を亀岡が必死の投球で守り切り、粘る二松学舎を振り切ったのである。
みごとに下克上を成し遂げた松山東だったが、この番狂わせは決してフロックだとは言い切れなかった。というのも、ベンチ入りメンバーから漏れた部員がデータ班と活躍。二松学舎が出場した前年夏の甲子園大会をビデオ分析して投手の配球や打者の打球の傾向などをすべて解析していたのである。データ班は「内角への直球に自信を持っているからそれを投げさせないようにする。そして外から内に入ってくる変化球を引きつけて打つ」と指示。二松学舎のエース・大江には毎回の16三振を奪われたもののナインはそれを最後まで愚直に貫き、変化球を狙い打って大江の攻略に成功したのであった。
松山東が陣取る三塁側アルプススタンドは実に82年越しの歓喜に沸いていた。地元・愛媛県からなんとバス66台分の大応援団が駆けつけ、見渡せばスクールカラーの緑一色。その大声援が松山東ナインを後押ししていた。まさに全校一体となってのジャイアントキリング完成であった。
(高校野球評論家・上杉純也)=文中敬称略=