人間の歯や髪を使用して作られた聖職者「アレクサンダー・ペデン」の革マスクとその人生

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人間の歯や髪を使用して作られた聖職者「アレクサンダー・ペデン」の革マスクとその人生
人間の歯や髪を使用して作られた聖職者「アレクサンダー・ペデン」の革マスクとその人生


 まるで恐怖映画に出て来るような不気味なマスク。だがそれ以上に不気味なのは、この革のマスクには、本物の人間の歯や髪が使用されていることだ。

 " 預言者ペデン " として知られている聖職者、アレクサンダ・ペデンが、身元を隠すため変装する時に使用したとされるこのマスクは、1660~1670年代に作られた。

 現在、スコットランド、エディンバラの国立博物館に所蔵されている。
・約200年の月日を経て発見された革マスク

 このマスクがイギリス・カムナック地方の小屋から発見されたのは1840年代のこと。一緒に見つかったカツラや剣と共に家宝として代々受け継がれてきた。

 1660~1670年のものとされており、キリスト教のプロテスタント、カルヴァン派(長老派教会)の司祭、アレクサンダー・ペデンが身元を隠すのに変装するために用いた。彼は"サンディ"とも呼ばれていた。

 ペデンは当時活発だったカヴェナンター(長老派教会による宗教運動)の重要人物の1人であった。 

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・カヴェナンター迫害時代

 アレクサンダー・"サンディ"・ペデンは、1626年、スコットランドのエアーシアで生まれた。グラスゴー大学に行き、1659年にニュー・ルースで聖職者になった。

 ところが、チャールズ二世の王政復古後、カヴェナンターは迫害時代に突入する。ペデンは他の300人の聖職者たちとともに強制的に教会を追放され、26年に及ぶ迫害が始まった。

 すぐに彼は、スコットランド南部や中央を放浪しながら説教を始め、有名になった。そのため、ペデンは政府から追われるスコットランドでもっとも有名なおたずね者になった。

 そこで彼は身元がばれないようマスクをつけ始めた。とはいえ、永久にこれで安全というわけにはいかなかった。

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・バスロックの牢獄へ入れられる

 1670年、ペデンはアイルランドへ逃げ、1673年までほとんどを北アイルランドの都市アーマーに潜伏して、多くの人に教えを説いた。

 そして、アイルランドの長老派(カルヴァン派)牧師たちに対し、この事態になにも行動しないのは罪深いと非難した。

 この頃、厳粛同盟をいまだに指示していた長老派は、別々に信徒集会を開催し始めた。ペデンの説教は、アイルランドの盟約者たちを鼓舞した。

 1673年、スコットランドに戻ったペデンは逮捕され、ほかの40名の仲間たちとともにバスロックの牢獄で4年間過ごした。

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・農夫になりながらも説教を続けたペデン

 釈放された翌年、ペデンは短期間アイルランドに戻り、再び長老派を非難した。彼らが政府に手紙を出して、スコットランドの長老派が戦ったボスウェル・ブリッジの闘いを認めないと言ったことがその理由だった。

 その後の1682年、ペデンはアイルランドのグレンウェリー(バリミーナとラーンの中間)で、ウィリアム・スチールとその妻に農場労働者として雇われて働き始めた。

 日々の労働が終わると、使用人の少年と共に納屋で眠った。2日間後、この少年が、ペデンが眠らずにスコットランド教会の迫害されたメンバーの名をとなえながら、一晩中祈っている主人に訴えた。

 聖職者なのかと問われたペデンがそうだと答えたため、この日から、スチール夫妻は彼を納屋で寝かせたり、野で働かせたりするのをやめ、周辺地域で説教をさせた。

 ペデンは1685年までグレンウェリーに滞在し、スコットランドに戻ると最後の説教をした。

 1686年1月、苦難と窮乏に苛まれながら60歳で亡くなった。その40日後、政府軍は埋められた彼の遺体を掘り出して、死体を吊るすことを計画していたが、一部から反対の声が上がったため、死体を絞首台のふもとに埋めた。

 1891年、ペデンの遺体が埋められた場所には記念碑が建てられた。

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References:Alexander Peden / vintag.es / nms.ac.uk / reformationhistory/ written by konohazuku / edited by parumo
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