武藤敬司「猪木さんは“どんくささ”をカッコよく見せる」レスラー列伝インタビュー

日刊大衆

武藤敬司「猪木さんは“どんくささ”をカッコよく見せる」レスラー列伝インタビュー

 レスラー自身が証言するプロレススーパースターたちの素顔。『週刊大衆』でスタートした連載初回は、あの“天才”武藤敬司

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(むとう・けいじ)1962年12月23日生まれ。山梨県出身。84年、新日本プロレス入門。95年、第17代IWGPヘビー級王者を戴冠。97年にはnWoブームを牽引。02年、全日本プロレスに移籍。13年、同団体を退団し、WRESTLE-1を運営するGENスポーツエンターテインメント代表取締役社長に就任。

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 武藤敬司は、アントニオ猪木と常に“一定の距離感”を取っていたが、「数年前から、いい関係に戻っている」と言う。武藤は猪木の「プロレス」を、どう捉えているのだろうか。

「俺のほうが運動神経は全然いいですよ。ある意味で猪木さんは“どんくさい”。ただ、その“どんくささ”をカッコよく見せることができるのがすごいんだよね。表情がいい。首に血管を浮かべながら怒るときとかさ。猪木さんは“演じている”というより、地でやってると思うんです。お客さんに見抜かれてしまうから。猪木さんは試合開始前に若手とのスパーリングをお客さんに見せていたので、俺も数回スパーリングしたことがあります。柔軟性が高いなという印象でした」

 若い頃は、猪木から“理不尽な仕打ち”にあったこともあるという。

「2月の北海道巡業で稚内まで行ったとき、猪木さんが俺を含めた若手レスラーを連れてビーチに向かったんですよ。氷が漂っているような海なんだけど、猪木さんが“泳ぐからついて来い!”と言い出して、俺らも飛び込むしかないじゃない。もう冷たくて死にそうになりましたよ。後から知ったんですけど、猪木さんは糖尿病だから血糖値を下げるためによく氷風呂に入っていたみたいで、あのときは若手レスラーがつきあわされたんだよ(笑)」

 時は進み、1994年5月1日にアントニオ猪木VSグレート・ムタの試合が、猪木の引退カウントダウンマッチとして行われた。

「俺の毒霧で猪木さんの顔が緑に染まったら“勝ち”だなと思ってました。ムタは、本来なら新日本プロレスに存在してはいけないレスラーだから。猪木さんと向き合って“やっぱりプロレスが上手いな”と感じましたね。ただ、これが引退カウントダウンの最初の試合だったはずなのに、その後、カウントアップしていったから“話が違うじゃねぇか”と思ったけど(笑)」

 2002年2月、武藤は新日を離れて全日本プロレスに移籍し、10月には社長になった。すでにジャイアント馬場は亡くなっていたが、武藤は“馬場イズム”を感じたという。

力道山から始まった日本のプロレスの保守本流は馬場さんなんだよね。全日はNWAやAWAといったアメリカのメジャー団体とおつきあいしていたけど、新日本プロレスはそのラインがないから、タイガー・ジェット・シンを“作る”しかなかった。そんな猪木さんの背中を見てきた新日のレスラーのほうが、頭は柔らかいと思いますよ。ただ、俺が全日にいたときは、ファッションブランドとのコラボなど、いろんなチャレンジをしましたね」

 現在発売中の『週刊大衆』5月20日号では続けて武藤敬司へのインタビューを掲載。武藤が「波長が合うレスラー」としてマサ斎藤について語る。

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