江戸時代、タイで国王になってしまった山田長政のサクセスストーリーが凄すぎる! (2/3ページ)
そこでスペイン艦隊を2度も退けた長政は日本人傭兵隊の指揮を任され、当時の王ソンタムから重用されるようになりました。
また、貿易商としても活躍し各国との経済戦争に打ち勝ちアユタヤでの貿易を一手に引き受けるくらいまで発展させます。
その勢いは世界最大とも言われる東インド会社を撤退させてしまうくらいでした。
このような功績が認められ長政は元和7年(1621)に日本人町の頭領になり、老中、土井利勝と本多正純を介して日本とタイ(当時はシャム)の国交に尽力しました。
絹本著色土井利勝肖像画/Wikipediaより
ついに国王に!しかし……長政はソンタムの信頼を得ていく内に寛永5年(1628)には官位制度の三位である「オークヤ―・セーナピモック」を任ぜられます(セーナピモックは軍神の意味)。
しかし、翌年にはソンタムが跡継ぎを決めないまま崩御してしまい、王位継承を巡る政戦にソンタムの信任を得ていた長政は巻き込まれてしまいます。
長政は宮内長官であるシーウォラウォンと協力してソンタムの子どもを王位に就かせますが、新しい王の後見人となったシーウォラウォンが長政を排除しようと考えます。
そして、長政はアユタヤから遥か南にあるリゴールという王国の内乱を鎮めるためにリゴールへ向かいます。
リゴールの内乱を平定した長政はリゴール王(六昆王)に任ぜられました。
寛永7年(1630)、アユタヤではシーウォラウォンが国王を殺害し国王となっていました。
これを聞いた長政はシーウォラウォンの暴走を止めるためにアユタヤへ向かおうとしますが、侵入してきた隣国のパタニ軍との戦の最中に負傷してしまいます。