箱根駅伝は閑散期の観光を盛り上げる為の大会でもあった?「いだてん」第19話振り返り
「いだてん」第19話が放送されました。
ベルリンオリンピック中止以来、フラストレーションを解消するかのように全国各地で駅伝やマラソン大会を開いて走り続けた四三。
今回はついにあの箱根駅伝のエピソード!第二次世界大戦中は数年中止されることもありましたが、2019年大会で95回目。現在まで毎年お正月の風物詩として多くの駅伝ファンに愛されている大会です。
その記念すべき第一回はどうやって始まったのか、それが語られた19回は、駅伝ファンにとって貴重な回だったのではないでしょうか。
アメリカ横断駅伝の予選会として構想ドラマの中でも語られましたが、実は箱根駅伝とは、アメリカ横断駅伝のための予選として始まったとされています。
全国津々浦々、もう国内は走りつくしたと感じた四三は1919年、長距離ランナーの育成には、国内だけでなく外地での経験も必要だと考えます。そこで導き出されたのがアメリカ横断でした。
ただ、広いアメリカを横断するわけですから、もちろん平地ばかりとはかぎらない。あのロッキー山脈を越えて走るためには、同じようなコースを経験しておく必要がある。そうして選ばれたのが箱根だったのです。
このようにして、アメリカを目標としてスタートした箱根駅伝。しかしながら、大本命のアメリカ横断駅伝は実現していません。アメリカに渡って調査するところまではいきましたが、計画はほとんど進むことなく潰えたということです。
第一回大会は四校が出場するも、課題は多かったしん0726さんによる写真ACからの写真
箱根駅伝は学生が出場する大会です。集まったのは四三の出身校である東京高師(現・筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶応義塾大学の四校でした。そのため、このときの正式大会名は「四大校対抗駅伝競走」です。現在の「東京箱根間往復大学駅伝競走」に固定されるのは昭和も中期になってからでした。
さて、東京から箱根までの道のりを往復するので、当然一日では終われません。現在も2日間に渡って往路・復路に分けて開催されますが、これは第一回からそうでした。
日本初の東海道五十三次を走った大会は昼夜を徹して行なわれるというとんでもないスケジュールでしたが、箱根駅伝はそれよりも距離が短く、きっちり2日に分けるので余裕をもって日中明るい間に走れる。そう思いますよね。
でも実際は、夜間にも走らなければならないという不便な大会でした。
ドラマでも描かれていましたが、「学生の本分は学業!」午前中は授業があるし、お昼はご飯を食べるもの。そういうわけで午後からスタートすることになり、最後の5区にもなるとあたりは真っ暗……。道に迷う選手も出て、地元青年団が松明をもって伴走することで、どうにかゴールしたのだそう。
開催日程に関しても、現在は正月の2日・3日に行われるのが通例ですが、当初は日程が固定されてはいなかったようです。第一回大会が開かれたのは1920年2月14日と15日でした。
閑散期の観光を盛り上げる大会でもあった?開催日程に関しては、観光地に客を呼び込む狙いもあって設定されたという説もあります。たとえば第一回の2月はもっとも冷え込む時期。寒いと客足も減るため、箱根に観光客を呼び込むために開かれた、ともいわれているのです。
2日間にわたって行なわれたため、宿泊施設にも人を呼び込むことができたとか。
初の箱根駅伝は、無事終了。総合時間は15時間でした。無事に終えたものの、課題も多かった初回大会。今後回を重ねるごとに総合時間は短くなっていきました。
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