歴代総理の胆力「大隈重信」(1)まったくの“ダメ総理”を露呈 (2/2ページ)

アサ芸プラス

このとき、憲政党の絶対多数与党の出現に当時のマスコミは「民党(注・政党としての憲政党)が薩長三十年の政府を乗っ取ったのは、徳川三百年の天下を乗っ取ったに等しい」(『時事新報』)と、手放しの持ち上げ方だった。

 ところが、トップリーダーの座に就いた大隈は、まったくの“ダメ総理”を露呈した。国民の期待をことごとく裏切ったのである。

 予算経費の削減、行政改革の断行を政権の目玉としたが、経費削減の一方で酒税・たばこ税を増税、行政改革もわずかな人員整理にとどまった。結局、藩閥勢力の壁破れずで国民の失望を招き、わずか4カ月の短命内閣を余儀なくされたのだった。

■大隈重信の略歴

天保9年(1838)3月11日佐賀県城下の生まれ。立憲改進党結成、東京専門学校(早稲田大学の前身)を経て、伊藤、黒田、松方内閣で外相。憲政党結成後、60歳で外相兼務の第一次大隈内閣を組織。76歳で第二次内閣組織。大正11年(1922)1月10日、83歳で死去。国民葬。

総理大臣歴:第8代1898年6月30日~1898年11月8日、第17代1914年4月16日~1916年10月9日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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