明智光秀は本能寺の変の後に亡くなっていなかった説。天海になって生き延びたのは本当なのか? (3/3ページ)
天海には素性が分からない部分がありますが、天海と名乗る以前は「隋風」という名前だった記録があるそうです。
だから天海は光秀ではないと、須藤光暉は著書で語っています。すでに100年前に、「天海=光秀」説は否定されていたのです。
織田信長が「人間五十年~」と詠んだことからも、戦国の世の中は寿命が現代よりも遥かに短い事実はよく知られていますよね。
そんな時代に100歳を超えるだけで、それはもう人間を超越したような存在だったのでしょう。そういった背景から、「天海=光秀」という図式が成り立ったのかもしれません。
参考文献:須藤光暉「大僧正天海」(1916年)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
