江戸時代、大奥にあった「開かずの間」の怪談。5代将軍・徳川綱吉に付き纏う死の噂とは?

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江戸時代、大奥にあった「開かずの間」の怪談。5代将軍・徳川綱吉に付き纏う死の噂とは?

大奥には「開かずの間」があり、その部屋にかかわる怪談めいた話があります。

そして部屋が開かずの間になった原因は、5代将軍の徳川綱吉が「正妻に殺された」という噂が影響しているのです。

大奥の「開かずの間」の噂

大奥には「宇治の間」と呼ばれる部屋がありました。宇治の茶摘の絵が襖に描かれた部屋だったので、「宇治の間」と呼ばれていたそうです。

実はこの部屋で、5代将軍の綱吉が正室の鷹司信子に殺されたという噂があります。

徳川綱吉(wikipediaより)

元々、夫婦仲がよくなかった綱吉と信子。

信子が綱吉を手に掛けた理由は、権威を振るった側室に我慢がならなかったという説や、綱吉が側近の柳沢吉保の子供を養子にするのを止めるためだったとも言われています。

綱吉が発疹で亡くなった約1ヵ月後に、不仲だと言われていた信子も同じ発疹で亡くなったことも、噂に拍車をかけたのでしょう。

そうして綱吉の死後、事件が起こった「宇治の間」は「開かずの間」に……。

語られる「開かずの間」の怪談

この宇治の間に関する噂には、綱吉だけでなく家慶にまつわる怪談めいた話もあります。

12代将軍の家慶は、この宇治の間の前を通りかかったときに黒紋付の老女を見かけたそうです。お付きの者に、「あの老女は何者だ」と尋ねたときにはすでに老女の姿はありません。

そうして家慶はその後まもなく亡くなったと囁かれているのです。この世の者ではない存在を見てしまったため、家慶は亡くなってしまったのでしょうか。

徳川家慶像(wikipediaより)

ちなみに家慶が見た黒紋付の老女は、信子が綱吉を殺したときに手伝った女中だと言われています。そのため、何か凶事がある際には、黒紋付の老女が現れるという噂が大奥で広がったのです。

この話は明治生まれの江戸文化の研究家である三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ)が、著書「御殿女中」に「宇治の間の怪」として記しています。

「御殿女中」は、大奥で働いていた女中たちから聞き取った話を鳶魚がまとめた書物です。鳶魚が活動していた当時は大奥の女中たちがまだ存命だったため、話を集めやすかったのでしょう。

三田村 鳶魚が聞いた女中の話

三田村 鳶魚の著書「御殿女中」には、宇治の間は本丸の次の仏間の次にあったと書かれています。

そして鳶魚が聞いた女中の話では、綱吉が信子に殺されてしまったので、宇治の間はずっと物置のような部屋として使っていたそうです。実際は開かずの間ではなく、不用品を置いていた部屋だったということになりますね。

しかしそのような扱いの部屋であったにもかかわらず、大奥が何度も建て直しをしている中で、宇治の間も同じように建て直されたのは不思議だと女中は語ります。

平素御不用の品物などを、宇治の間へ預けて置くやうな習ひにさへなつて居りました
再三の御普請にも此の御不用な宇治の間を、従前通りにお建てになるのも誠に無用のことのやうですが

この女中は子供のころから大奥におり、この宇治の部屋がずいぶんと気味悪かったそうです。それは黒紋付の老女の怪談を女中が知っていたことも、大いに関係しているのでしょう。

千代田之大奥(元旦二度目之御飯)

大奥には300年近い歴史があるので、このような怪談や噂の類はもっとあったと思います。そして噂を辿ると史実に重なったりすることも、歴史好きにとっては非常に興味深いのではないでしょうか。

参考文献:三田村 鳶魚「御殿女中」(1930年)

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