「夏の選手権第85回大会」ダルビッシュ有が散った歴史に残る大投手戦 (2/2ページ)
ちなみに9回まで両軍合わせて30三振は、当時、実に78年ぶりとなる三振記録であった。
迎えた10回表。ダルビッシュは平安の攻撃を三振、投ゴロ、四球⇒盗塁死で無得点に抑える。対する服部もその裏の東北の攻撃を三振、一ゴロ、二ゴロと三者凡退に。続く11回表。平安の攻撃を中飛、二ゴロ、左飛で終え、ダルビッシュはつけいるスキを与えない。
だが、幕切れは突然訪れた。その裏、東北攻撃陣は先頭の2番・宮田泰成が左前安打で出塁し、犠打で二塁へ。その後、後続が投ゴロから死球でつなぎ、2死ながら一、二塁と一打サヨナラのチャンスをつかんだのだ。打席には6番・加藤政義。その4球目、バットが一閃すると打球は三遊間突破のサヨナラの適時打となって左前へ。両投手合わせて計32奪三振という壮絶な奪三振合戦の幕がここにようやく降りたのである。
実にダルビッシュ15奪三振、そして紙一重の差で敗れた服部はその上を行く17奪三振。もはや意地だった。ダルビッシュは、普段は変化球を決め球に使うことが多かったのだが、この試合は服部の投球に触発されたのか、直球主体に押す力の投球に終始する形となっていた。また、そんなダルビッシュに負けまいと競った服部。この32奪三振は互いがたがいの力を高め合った結果にほかならなかったのである。
この試合で勢いに乗った東北はそのまま勝ち進み、決勝戦へと進出。だが、名将・木内幸男監督擁する常総学院(茨城)の前に2‐4で惜敗し、準優勝止まり。この翌年も春夏と甲子園にやって来たが、優勝にはついに手が届かず。優勝旗の“白河の関越え”の夢は叶わなかったのだ。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=