「どうにかなろう」じゃ日本が滅ぶ!今こそ伝えたい幕末の名臣・小栗上野介の生き様と名言【下】
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「どうにかなろう」じゃ日本が滅ぶ!今こそ伝えたい幕末の名臣・小栗上野介の生き様と名言【上】時は幕末、滅びゆく幕府をどうにか建て直し、日本国の未来を切り拓くべく外交に財政に活躍した名臣・小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけ ただまさ)。
志半ばにして惜しまれながらも斬られてしまった忠順ですが、ここでは横須賀製鉄所や財政・軍事改革など、多くの業績と共に彼が遺した名言を紹介したいと思います。
「幕府の命運に限りがあろうと、日本の命運に限りはない」これは製鉄所の建設中、佐渡奉行の鈴木兵庫頭重嶺(すずきひょうごのかみ しげね)のからかい?に対して返した言葉です。
さぁ幕府の海軍力強化だと言って始まった製鉄所の建設ですが、当然ながらその完成には年単位の歳月がかかります。
佐渡奉行・鈴木重嶺(晩年の写真)、Wikipediaより。
「多額の費用を投じたところで、製鉄所が出来る頃には当の幕府が存続しておるかわからんな(笑)」
それでは本末転倒かも知れませんが、忠順にはもっと大きなビジョンがありました。
自分が提言し、総力挙げて進めているこの事業は、幕府のためとか、薩長藩閥のためとか、そんな小さな視野ではなく、日本国の命運を切り拓く力となる。
一大軍港に発展した明治期の横須賀。
己の利害損得を越えて公益に供する誇りと、国家百年の大計に与(あずか)る自負を持てばこその台詞と言えるでしょう。
「病の癒ゆべからざるを知りて薬せざるは孝子の所為にあらず。国亡び、身倒るるまでは公事に鞅掌するこそ、真の武士なれ」【意訳】「親が不治の病と知って、薬を与えないのは親孝行ではないように、滅ぶだろうからと言って幕府を見捨てるのは、武士の振舞いではない」
倒幕の機運が高まる中、我が身可愛さにそれまで御恩に与っていた者たちが次々と幕府を裏切る中での台詞と伝わっています。
どこまでも真っ直ぐに生きた忠順。
勝負盛衰などはしょせん時の運に過ぎない。最後まで自分にできる最善を尽くしてこそ、開ける未来もあるというもの。
どこまでも真っ直ぐな忠順の生き方が、よく表れた台詞の一つです。
「一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり。幕府が滅亡したるはこの一言なり」確かに世の中、何もしなくても「どうにかなる」ものですが、どうにかはなっても、その結果は往々にして残念なもの。
「自分一人くらい、手抜きしたって『どうにかなる』さ……」
「いくら君一人で頑張っても、『どうにかなる』ようにしかならないよ……」
滅びゆく幕府(戊辰戦争・上野合戦)。Wikipediaより。
そんな一人々々の諦めや無気力が、ついには幕府を滅ぼしてしまったことに対する痛烈な苦言です。
確かに一人の才能や努力など、たかが知れています。しかし、どんな大きな仕事も組織も、その一人々々が支え合うことで成り立っているのです。
「一人がみんなのために。みんなが一人のために」
誰か任せでなく、まず自分が当事者としての意識を持つことの必要性は、今も昔も変わりません。
「お静かに」斬首される直前、忠順の潔白を主張して騒ぎ立てた村人や家臣たちを、優しくたしなめた言葉です。
自分はこの生涯において、なすべきことはすべてなした。あとは後世の者たちが遺された仕事を評価すればいいだけのこと。
何より、あなたがたがこのように死を惜しんでくれているのが、仕事の正しかった一番の証拠。
「お天道様が見てござる」
そう粛々と死に赴く高潔な佇まいは、明治の世へ生き残った者たちに深く感銘を与え続けたことでしょう。
終わりに「人事を尽くして、天命を待つ」
……そんな言葉を体現したような忠順の生涯でしたが、その生き方は現代社会に蔓延する冷笑主義やニヒリズムに立ち向かう強さを教えてくれるようです。
「どうにか『なる』なんて馬鹿でもわかる、どうにか『する』のが大人の役目だ」
自分の遺した仕事が、少しでも日本の役に立たんことを。
かつて、そんな心意気で時代を切り拓いてきた先人たちに恥じない生き方を目指していきたいものです。
【完】
※参考文献:
村上泰賢編『小栗忠順のすべて』新人物往来社、平成二十2008年
富田仁ほか『横須賀製鉄所の人びと』有隣堂、昭和五十八1983年
福地源一郎『幕府衰亡論』民友社、昭和元1926年
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