CMキング・相葉雅紀が味わった不遇の時代…サックスに挑戦し挫折した黒歴史

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CMキング・相葉雅紀が味わった不遇の時代…サックスに挑戦し挫折した黒歴史

 嵐の相葉雅紀が「2019上半期タレントCM起用社数ランキング」(ニホンモニター調べ)で、サンドウィッチマンと並んで1位に輝いた。9社だった相葉は、15年と16年の年間王者で、昨年前期が2位と上位常連。1社と僅差ながらも、2位の櫻井翔と二宮和也を上回った。

 20周年アニバーサリー真っただ中の嵐は、ベストアルバム『5×20 All the BEST!! 1999-2019』が発売初週で130.4万枚を売り上げ、2010年代最高の初週売り上げを記録した。発売初週でのミリオン突破は、シングル、アルバムで嵐史上初。来年大みそかでの活動休止が決定している今、待望のダブルミリオン(200万枚)も夢ではない。

 出せば大ヒットの状態が長く続く嵐だが、99年にハワイで華々しいデビュー記者会見を開き、1stシングル「A・RA・SHI」をリリースした翌年以降は、緩やかな下降線を描いていたのは、今からすると嘘のような話だ。当時を知る芸能ジャーナリストが振り返る。

「中堅ジャニーズの定番といえば、全国アリーナツアーです。嵐も経験していますが、CDセールスが芳しくなかった時期は、アリーナを満員にできませんでした。関東は埋まりましたが、地方は厳しく、観客が入っていない一帯はシートで覆って偽装したこともありました」

 空席をシートで隠すのは、有名アーティストなら誰もが一度は経験している。解散したSMAPでさえ、下積み時代には「シートありの会場」を見渡している。最大キャパおよそ1万人の愛知・名古屋レインボーホール(現・日本ガイシスポーツプラザ)公演では、スタンド席の半分が空席だったという。SMAPでそれなのだから、嵐の空席は決して恥ずべきことではない。

「なんとか売れようと模索していたときの嵐は、おのおのが得意分野を見つけ出そうと必死でした。02年に相葉がはじめたのはサックス。でも、練習中に肺の自然気胸を発症してしまい、入院。『再発する可能性がかなり高い』と医師から告げられており、嵐をやめて、ほかの仕事に就くことを考えたといいます。11年、左自然気胸で再び入院しています」(前出・芸能ジャーナリスト)

 相葉がサックスに活路を見いだそうとしたとき、櫻井はラップを極めようと「サクラップ」をはじめた。嵐のシングル史上唯一の全編ラップ「a Day in Our Life」(02年)は、500円という超破格で発売。櫻井は、単独でラップの大会に出場するほど本気だった。

 情勢が変わりはじめたのは、05年。松本潤主演のTBS系ドラマ「花より男子」が放映されると、社会現象と呼ばれるほどの大ヒット。翌06年、櫻井がジャニーズ史上初のニュースキャスターを務める「NEWS ZERO」(日本テレビ系/現「news zero」)がスタートし、グループ初のアジアツアーも大成功。ついに、日本中に嵐を巻き起こした。東京・国立競技場では、6年間で15公演という単独最多公演記録を樹立。10年には、同所で4日間公演という前人未到の記録も達成した。

 ひとまずの終章まで、あと1年5カ月。狂想曲は、まだ鳴り止まない。

(北村ともこ)

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