江戸時代の妖怪「牛女」の目撃情報が現在でも噂されるようになった経緯とは? (2/3ページ)

Japaaan

牛女の噂が始まった経緯

第二次世界大戦があった頃、西宮市一帯を襲った空襲で牛の屠殺場が焼失しました。ここの座敷牢に牛頭の娘が閉じ込められていたという噂から、牛女伝説は始まったのです。

さらに1980年代になると、この牛女はメディアで取り上げられるようになり、ある寺がかなりの迷惑を被ることに……。

兵庫県西宮市にある高野山真言宗のお寺「鷲林寺(じゅうりんじ)」の住職は、夜毎訪れる若者たちの騒音に悩んでいました。

鷲林寺の本堂(wikipediaより)

どうやら肝試しをしているらしい若者の集団は、県外ナンバーの車が目立ちます。どうしてこんなことになったのか、住職には想像もつきません。

そこであるとき注意した若者に尋ねてみると、週刊誌に「鷲林寺には牛女がいる」という投稿記事が掲載されたとのこと。その話は、「境内にある祠を3周すると牛女が現れる」という内容でした。

実際、祠には荒神さんの眷属「牛」を祀っていることから、この牛と元々西宮市に伝わる牛女の噂を誰かが結びつけたのでしょう。

寺に無断で掲載したことから住職は週刊誌に抗議しましたが、それでも噂に惹かれてやってくる若者は後を絶ちません。

思い悩んだ住職は、「牛女を引っ越しさせる」ことを思いつくのです。

牛女の噂に翻弄されるお寺

ある日、山門に「牛女は引っ越ししました」と看板を掲げた住職。最初は冗談のつもりでしたが、なんとこの方法で夜中の訪問者が激減したのです。

やっと落ち着きましたが、その後テレビで取り上げられることになり、また住職は牛女の噂に悩まされるように。

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