歴代総理の胆力「犬養毅」(1)歯に衣着せぬ毒舌家 (2/2ページ)

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 なるほど、カネのない党首のもとには、野党と言えど人は集まらず、13年間続いた立憲国民党は常に20人程度の議員しか抱えられなかった。そうした中での犬養の意地が表れているのが、「政党の離合集散は、一に主義、政策の異同によって決すべし」という言葉であった。主義や政策以外の条件での合流や離散を、頑として認めなかったということだった。

 一方、「犬養政治」は、対外的には欧米諸国からアジアの自立を目指した「アジア主義者」の立場が基本であった。また、「中国と言えば犬養」と言われたように、革命家の孫文と親交を持つなど、日中間の橋渡し的存在でもあった。さらには、国内的に男子の普通選挙にメドをつける一方、婦人の参政権への理解もあった。その間、閣僚として、文相、逓信相を歴任したあと、自らが率いた革新倶楽部を政友会と合同させたところで、政界を引退してしまった。悠々自適の隠遁生活を望んだ犬養だったのである。

 ところが、出身地・岡山の選挙区の強い懇請あって、わずか2カ月足らずで政界復帰となり、やがて、政友会総裁に就任した。その総裁就任から2年後の昭和6(1931)年12月13日、外相兼務で犬養内閣を組織するに至る。時にじつに76歳であった。

■犬養毅の略歴

安政2(1855)年4月20日、備中国(びっちゅうのくに・岡山県)庭瀬(にわせ)生まれ。第1回衆院選で当選(以降、18回連続当選)。立憲国民党結成、政友会総裁を経て、外相兼務で内閣組織。総理就任時、76歳。昭和7(1932)年「五・一五事件」で青年将校に射殺される。享年77。

総理大臣歴:第29代1931年12月13日~1932年5月16日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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