父想いの娘に感動…火縄銃の日本初の国内製造の裏で起きていた知られざる秘話 (2/3ページ)
種子島に招待された金兵衛は火縄銃を解体するとすぐさま製造に取り掛かりました。種子島に招待されるくらい優秀な鍛冶である金兵衛は、火縄銃をほとんど複製させます。
しかし、筒底を塞ぐネジの部分だけが製造できず金兵衛は困り果てていました。当時の日本にはネジの観念や製造技術がなく、火縄銃の国内製造は困難を極めました。
若狭の決心!火縄銃の国産化に成功する日に日に頭を悩ませていた金兵衛を見て、16歳だった娘の若狭はある決心をします。それはポルトガル人に嫁ぐことでした。
若狭がネジの情報を持っているポルトガル人に嫁いだことで、特許に相当する技術を知り得た金兵衛は天文14年(1545)に国内初の国内製造に成功しました。
若狭は国内初の国内製造がされる前年の天文13年(1544)に外国から帰って来ており、その後亡くなったとされています。