いまだ謎に包まれた死。幕末の美男役者・八代目 市川團十郎はなぜ32歳で自殺したのか?その2 (2/3ページ)
正妻に関しても2回再婚していますから、7代目團十郎は生涯で5人の妻を娶っていたわけです。精力盛んで、8代目團十郎を筆頭に子供が12人もいたため、自分でもふざけ半分自虐半分に「寿海老人子福長者」と名乗るほどでした。
そんなわけで、團十郎家が4代目から代々住んでいた深川の島田町の実家は、傍から見れば華やかな役者家族でしたが、内実は7代目團十郎、正妻、妾2人、腹違いの12人の子供たちという、8代目團十郎にしてみれば超複雑な家庭環境でした。
これだけの人数がひとつ屋根の下に暮らしていたのですから、家庭内の揉め事も絶えなかったようです。
天保の改革で大打撃そんな中、大事件が発生しました。老中・水野忠邦の天保の改革が始まったのです。
天保の改革を皮肉った浮世絵。
歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」
倹約令が施行され、華美な祭礼や贅沢・奢侈はことごとく禁止。庶民の娯楽も制限される対象となり、芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖、浮世絵・戯作の規制など多くの文化人が影響を受けました。