東龍太郎、オリンピックのために医師から都知事へ。「いだてん」第40話振り返り (2/2ページ)
スポーツ界の重要な地位に就くなんて初めてのことでしたが、周囲におされて戸惑う間もなく就任することになったのです。
オリンピックのために東京都知事に人柄がよく、生真面目な正確だったという東龍太郎。なんとなく周りに押し上げられる形でIOC委員になり、オリンピック開催のために尽力することになりましたが、今度はさらに思いもしない舞台へ押し上げられます。
1959年、田畑政治から、「オリンピックのために東京都知事選に立候補してほしい」と頼まれるのです。
IOC委員や日本体育協会会長として活動してきたとはいえ、龍太郎は医師・学者です。今まで政治に関わろうなどと思ったことすらなく、むしろ政治には関わりたくないと思って生きてきた龍太郎。当然田畑の頼みに「うん」とは言えません。龍太郎の家族も彼の性格をよく知っていますから、猛反対して田畑に直談判しに訪れます。
しかし、この行動が逆に龍太郎に都知事選出馬を決意させることになったのはドラマの通り。オリンピックのために東京都知事になることを決意するのです。
こうして、見事都知事に就任した龍太郎は、1959年から1967年まで2期8年の間東京都知事を務めあげます。
とはいえ、政治は未経験の龍太郎。実は東京オリンピックの立役者となったのは副知事の鈴木俊一であるともいわれます。そのせいで、「東副知事・鈴木知事」と揶揄されることも。
それでもオリンピック開催に向けて東京のインフラ整備に邁進し、わずかな期間で東京を大改革。東京が都市として発展する一方で、都市開発が急速に進められたことで住民たちからは批判の声もありました。オリンピック開催のおかげで高度経済成長を果たしたものの、そのせいで公害問題が続出。水不足に対する「雨が降らないからだ」発言で批判も浴びたことで知られますが、その陰では都知事として上下水道の整備やダムの取水工事など、水利政策に尽力していたのです。
オリンピックのために東京都知事になった東龍太郎。東京オリンピックを開催させるために活躍しましたが、その後の公害問題、汚職事件で住民の反発を招き、引退することになります。
オリンピックに関わらなければこんな苦労をすることはなかったかもしれない……。「いだてん」は最終章に突入しましたが、まーちゃんの頼みで都知事となった東龍(とうりゅう)さんの苦労はどのように描かれるのでしょう。
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