桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【二】 (3/4ページ)

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そして秀吉がライバルたちを制して実質的な天下人となり、関白に就任した天正十三1585年、その余慶に与った小平太は長年の功労が認められ、従五位下采女正(じゅごいのげ うねめのかみ)の位を授かっています。

小平太、ついに城持ち大名に(イメージ)。

そして秀吉が天下を統一。天正十九1591年、前年の小田原征伐で北条氏を滅ぼした戦功によって伊勢国一志郡(現:三重県津市の南部&松阪市の一部)3万5千石を与えられて松坂城(現:三重県松阪市)に入り、小平太はついに城持ち大名になったのでした。

【服部小平太】朝鮮出兵と羽柴秀次の失脚、そして悲劇の最期

さて、城持ち大名となった小平太は、秀吉の後継予定者である甥の羽柴秀次(はしば ひでつぐ)の補佐役を命じられ、この頃に秀次の「次」の一字を拝領して自分(一忠)の「忠」と合わせた「忠次」と改名したものと思われます。

明けて文禄元1592年4月、豊臣秀吉が朝鮮征伐(文永の役)の兵を興すと小平太(服部春安)は第二軍(朝鮮国都表出勢衆)の八番隊に所属。兵800を率いて若年の隊将・浅野幸長(あさの よしなが)を補佐して漢城(現:韓国ソウル)に進軍、その後も伊達政宗(だて まさむね)や加藤清正(かとう きよまさ)らと共に各地で奮戦しました。

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