君が代の「さざれ石」もある北鎌倉・東慶寺は、かつて男子禁制の縁切り寺だった (2/3ページ)

Japaaan

妻が夫との離婚を望んで駆け込むと、お寺は妻を保護した上で、まず夫に「内済離縁」を勧めました。これは現在でいうところの「離婚調停」です。縁切寺は、現在の家庭裁判所の役割を行うことが公的に認められていたのです。

調停の際には、妻側の縁者を呼んで復縁するように諭させたり、夫などを強制的に呼び出して事情聴取を行う事もあったと言います。多くの場合、この調停の段階でうまく話がまとまり、無事に離婚が成立して妻は親元に帰って行きました。

しかしこれがうまくいかなかった場合、最終手段として妻はお寺で足掛け3年(満2年)の修業に入りました。この期間が経つと、寺法によって離婚が成立したのです。

「お寺に入る」とは言っても、完全に髪を剃って尼僧になったわけではありません。
髪を少し切るという形式だけを踏襲し、その後は離婚成立までお寺の仕事をすることとなっていました。

江戸時代は妻側から離婚できなかった…ならば寺に駆け込むしかない!「駆け込み寺」の仕組み

現在の「縁切寺」は、清々しい観光名所

現在の東慶寺は、同じ北鎌倉にある明月院と並び「あじさいの名所」として人気の観光スポットとなっています。

「君が代の「さざれ石」もある北鎌倉・東慶寺は、かつて男子禁制の縁切り寺だった」のページです。デイリーニュースオンラインは、縁切り寺寺院鎌倉カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る