悲劇と喜劇は紙一重。失敗の物語には落語が必要だった「いだてん」第44話振り返り
「いだてん」第44話「ぼくたちの失敗」が放送されました。
1962年、インドネシアのジャカルタで開かれたアジア競技大会。インドネシアがイスラエルと台湾にビザを発給しなかったことで、大きな問題となりました。
日本代表団は参加・不参加で迷いながらも、参加を強行。このことで、体協会長の津島、そしてオリンピック委員会の事務総長である田畑も責任を取って辞任することになったのです。
まーちゃんの失敗失脚に追い込まれたまーちゃんは、いったい自分はどこで失敗したんだろう、と考えます。川島は「政府が口をはさむし、お金も出す」と言いました。川島は今やまーちゃんの天敵も天敵ですが、この言葉、実は過去にまーちゃん自身が言ったことと同じなのです。
かつて、オリンピックに選手を派遣するお金がなかったころ。まーちゃんは高橋是清に直談判して予算を勝ち取ってきました。そのときまーちゃんは、高橋是清に「政府が口を出したらいいじゃないですか」と言った。政治がスポーツに介入すればいいじゃないかと、まーちゃん自身が言ったのです。
まーちゃんは東京オリンピック開催まであと少しというところで、その失敗の種が萌芽したのはいつのことだったかを悟るのです。
落語「替り目」と二組の夫婦第44話で面白い演出だったのが、志ん生が高座でやった古典落語「替り目/銚子の替り目」と、田畑夫婦、そして志ん生の夫婦のエピソードが交差したことでしょう。
志ん生の「替り目」は、
酔っ払った男が帰宅して、寝かせようとする女房に酒のつまみを買いに行かせる。妻が出ていないと思って、普段口にできない妻への想いを吐露していたところを、まだいた妻に全部聞かれてしまっていた。
という話。実はこの後も続きがあります。
男がうどん屋にお燗をさせておきながら何も食べずに追い出してしまう。帰ってきた妻がそのことを知ると、自分が食べるからとうどん屋を呼ぶも、うどん屋は「あそこへはいけないよ、今行ったら銚子の替り目時分だから」と言う。
こういうオチがあって終わるのですが、志ん生の「替り目」は女房に全部心の内を聞かれてしまった前半部分で終わるのです。
44話では、志ん生が「替り目」をやりながら、映像では酔っ払って帰宅するまーちゃんが描かれます。家の前に犬がいるところから、何から何まで落語に沿っているのです。
まーちゃんは結婚してから今までずっとオリンピックばかり。そんな自分の世話をしてくれるのは菊枝のほかにはいない、と語ります。
一方、志ん生も同じです。志ん生は公園で稽古をしています。五りんが「一杯どうですか」と誘うのですが、入院中にも酒を求めた志ん生がそれを断ってしまうのです。「潮時ってものがある」と。今まで散々酒で失敗してきて、明日失敗したら二度と高座には上がれない。明日ダメならそれが潮時だ、と。
志ん生は五りんを帰し、ひとり「替り目」の稽古を始めます。そして、その様子を陰で見守っているのが妻のりんでした。ここでもやっぱり「妻にすべて聞かれている」のでした。
失敗の物語と落語まーちゃんの失敗は高橋是清に直談判したところから始まっていました。また、この作品に描かれた失敗はそれだけではありません。語り手である志ん生は数えきれないくらい失敗していますし、作品中盤で描かれた戦争も大きな失敗です。
そして、「いだてん」の語りとして大きな役割を担っている落語こそ、涙あり笑いありのオチがある芸能です。登場人物は何かしら失敗して、それが笑いになったり、ときには感動させられたりする。「いだてん」の主人公たちは、落語と同じように失敗からまた何かを見つけ、立ち上がるのです。
また、チャーリー・チャップリンの名言に「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」というものがありますが、まさにまーちゃんの人生がそれなのかもしれません。
オリンピックに人生をかけてきたのに、不本意にも解任させられることになったまーちゃんは、彼に寄り添ってみる分には悲劇です。しかし、テレビで会見を見ている今松は大爆笑。誰かにとっての悲劇は、他者から見れば喜劇。皮肉っぽく面白い演出でした。悲劇と喜劇は紙一重で、落語の面白さのひとつはそういうところにあるのかもしれません。
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