2019年テレビ界「豪傑墓碑銘」(1)内田裕也は公衆電話を蹴り飛ばし… (2/2ページ)

アサ芸プラス

アルバムのジャケットにもあるけど、赤いシャツに銀のネクタイ、それにソフト帽をかぶって。優作がその直後に始めた『探偵物語』(79年・日本テレビ系)の衣装、あれとほとんど同じだもんね」

 優作がショーケンをいかに意識していたかを示すエピソードだ。

 生前、みずからの半生を振り返って「ジェットコースターのような人生」と語ったショーケンだが、私生活はクスリとアルコールにまみれた日々でもあった。最初の結婚が破綻し、マスコミからの逃避行を続けていた時のことだ。

「萩原は逃亡先のバリ島からなかなか家に戻れなかった。そこに救いの手を差し伸べたのが、いしだあゆみ(71)。自宅にかくまったことで、いしだのベッドで寝ている時に、萩原が寝小便をしてしまい、素直に謝る姿に女心をくすぐられたという話です」

 と芸能記者が証言している。

 内田裕也の豪快エピソードといえば、91年の都知事選挙に出馬した際の政見放送で、のっけからジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌ったあと、英語で自己紹介した空前絶後の“事件”のインパクトは忘れられない。当時、取材した芸能デスクが語る真相とは──。

「実は、当初は公約を読み上げる予定でしたが、NHKからトレードマークのバンダナを『鉢巻きは禁止』などと文句をつけられて急きょ気が変わり、全てアドリブで乗り切った」

 都知事選落選後にアサ芸で、「もう許さん!」と題した連載コラムが始まったが、連載初回の打ち合わせを兼ねてホテルのロビーで待ち合わせていたところ、いきなり「ふざけんなコノヤロー」と公衆電話を蹴飛ばし始めたという。アサ芸担当記者もその迫力に「もう許さん!」と言われているようで、肝を潰したほどだった。

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