歴代総理の胆力「岸信介」(3)「オレは殺されようが動く気はない。覚悟はできている」 (2/2ページ)

アサ芸プラス

この状態、法律も秩序も、何もありません。ただ憎しみのみ。怒りに燃えている警官と、そして学生たちの憎しみあるのみ‥‥」(『週刊朝日』昭和35年7月3日号・誌上録音より)

 結局、アイゼンハワーの訪日も直前で中止となり、こうした中で6月19日の新安保条約の自然成立の日を迎えたのだった。

 さて、この日の岸の過ごし方に、その豪胆なハラのすわりぶりが表れていた。当時を取材していた政治部記者のこんな証言がある。

「6月19日、国会周辺などに約30万人の群衆が抗議のため押し寄せていた。とくに首相官邸はデモ隊にいつ襲われるかの雰囲気があり、身の危険を感じた閣僚、自民党幹部、岸の側近などは、次々に官邸から抜け出してしまった。官邸に残った国会議員は、岸とその実弟の佐藤栄作(のちに総理)だけ。当時の小倉謙警視総監も『総理、官邸の警備に自信が持てませんので退却を』と願い出たが、岸は言ったそうだ。『オレは殺されようが動く気はない。覚悟はできている』と。午前零時の自然成立をまんじりともせず待った。その後、午前6時を過ぎて、ようやく渋谷区南平台の私邸に戻ったのです」

 結果、自然成立から3日後の6月22日に新条約の批准書が交換され、岸はそれを見届けた翌23日、退陣を表明した。「日米修好100年」も記念してのアイゼンハワー米大統領の招請が、キャンセルに追い込まれた責任も一緒に取る形であった。一方で、その退陣劇は、戦前の強権主義を踏襲、墓穴を掘ったと言えなくもなかった。

■岸信介の略歴

明治29(1896)年11月13日、山口県生まれ。第一高等学校入学後、養子先の岸に改姓。A級戦犯容疑で逮捕、巣鴨拘置所収容・釈放。公職追放・解除後、改憲を目指す「日本再建連盟」会長。昭和32(1957)年2月、60歳で総理就任。昭和62(1987)年8月7日、90歳で死去。

総理大臣歴:第56・57代1957年2月25日~1960年7月19日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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