爆笑問題と渡辺正行「アイドルもバラエティ番組では笑わせることを念頭に」
大好評連載中の『コント赤信号 渡辺正行 スター芸人たちの“笑いと涙”』の特別編、渡辺リーダーとお笑いコンビ・爆笑問題の2人との対談の後編。前回に引き続き、30年来の関係の両者が、雌伏の時代、お笑い論、そして爆笑の“禁断話”まで熱く語ってくれた!
――1988年、リーダー主催の『ラ・ママ新人コント大会』でデビューした爆笑問題は、順調に仕事をこなしていたものの、90年に所属事務所から独立後、不遇な日々を送ることになったんですよね。
渡辺 大変な時期は、どれくらいあったの?
田中 3年弱ですかね。
渡辺 長いよね。
太田 まあ、今考えると、そうですね。
田中 すっかり仕事がなくなって……。テレビはNHKとテレビ東京だけは出演できたんですけど、それ以外は一切、ダメでした。
渡辺 辛かっただろうね。
田中 月1回、『ラ・ママ』で漫才をやって、たまに、NHKとテレビ東京。だから僕、昼間はずっとコンビニでバイトしてました。完全に、なじんじゃいましたよ。
渡辺 言ってたもんね、「“店長にならないか?”と誘われた」って。
太田 あのときは唯一の出番が『ラ・ママ』だったから、ホントにありがたかったです。
渡辺 うちは全然問題ないからね。
太田 その間に、浅草キッドや松村邦洋君、バカルディ(現・さまぁ〜ず)、ホンジャマカとか、同世代の芸人がテレビで、どんどん頭角を現してきて……。
田中 そうだったね。
渡辺 あの頃、爆笑は、危ないネタとかガンガンやってたよね。
太田 とにかく放送できないネタを。今と違ってネットもないし、なんでもありだったですからね。
渡辺 でも、俺はそれでも構わないと思っていて。とにかく人前に立って、笑いを取る感覚を覚えておくことが重要。芸人としてブランクができると分からなくなっちゃう。その感覚さえ忘れていなければ、ネタだけ変えていけばいいんだから。
太田 リーダーはいつも、「いいよ、そのままで」って言ってくれたから、ホントに心強かったですね。
渡辺 まあ、2人の心配はしてたけど、2人の人生だから自分たちでどうにかするしかないんだよね。だから、俺ができたのは、そういう場を提供して、何をするのか見ててあげるぐらい。俺はよく「東京の芸人を育てた」とか言われたりするんだけど、実は見てただけなんだよ。爆笑問題だって育ててないし。
太田 そうなんです。俺らが勝手に育っただけで(笑)。
渡辺 そこは「そんなことないです」だろ(笑)。
太田 でも、当時、俺らは一応トリで出してもらってたんだけど、いつしか客席全体が「ああ、もう古い……」っていう雰囲気になっちゃったんですよね。
田中 ウッチャンナンチャンやジャドーズとか主力メンバーも『ラ・ママ』を卒業して、僕らもかなり古株になってたからね。
太田 リーダーと一緒に司会をやってた構成作家の植竹(公和)さんからも、「なんか漫才が古いな。てんや・わんやみたいだな」って言われたんだよ。
田中 てんや・わんや(笑)。
太田 そのことは、いまだに忘れてないからね。植竹さんに会うたびに、ずっと言いたい!
渡辺 相手が若いときに、そういうことを言っちゃいけないんだね〜。言われたほうは、ずーっと覚えてるもんだよね(笑)。
田中『ラ・ママ』に来るお客さんは若い子が多くて、何を一番の目的にしてるかというと、芸人の先物買い。「自分が見つけた」という思いが強いから、新しい物や旬の物を追い求める傾向があったよね。
太田 フォークダンスDE成子坂とかね。
田中 それこそ、ウッチャンナンチャンでも、テレビに出るようになったら興味を失われてたし。テレビから呼ばれなくなった僕らだって、「どうせテレビに1回行った人たちだし」っていう扱いだった。
太田 もう終わった人たちっていう。
田中 そんな空気は感じられたよね。
■『爆笑ヒットパレード』に出たとき、すごかった
太田 だから、「いったい俺たちは、どうすればいいんだ? このままじゃダメだな」っていう焦りがかなりあった。それが、一からやり直すためにオーディション番組に出るきっかけになったんですよ。
渡辺 テレビ朝日の『GAHAHAキング爆笑王決定戦』だよね。
太田 たまたまプロデューサーの方に誘ってもらったんですよ。
渡辺 『GAHAHAキング』のときは、爆笑問題の2人はすごく気合いが入ってたもんね。
太田 10週勝ち抜くために、ホントに必死でしたよ。
田中 ずっと泊まり込みに近い形で練習して。隔週の2本撮りだったんで、結構キツいんですよ。
渡辺 ああ、1回でネタを2本持っていかなきゃいけないんだ。それを作るのは大変だね。
田中 そこはもう、後がない感じで。
渡辺 勝負の時。デビューしてガーッと上がった後に仕事がなくなって、だからこそ、「今だ! ここで行かなきゃ!」っていう強い思いがあったわけだし。でも、いい経験だったんじゃないの?
田中 結果的には、ですね。
渡辺 そこから現在に至る鋭利な爆笑問題になった。
――鋭利な?
渡辺 だって、「こいつら、よくやるな」と思うくらい狂ってるじゃん(笑)。不遇だったときの気持ちがあるから、「俺たちは絶対に、もう下がらないんだ!」っていう覚悟もあると思う。
太田 それはあるかもしれませんね。
田中 リーダーだって、10年くらい前に『爆笑ヒットパレード』に出たとき、すごかったですよ!
渡辺 あっ、そうだっけ?
田中 僕らは楽屋のモニターで見てたんですけど、コント赤信号がレジェンド枠で、「なんと、今回、久々に!」とかあおられてて。
太田 往年の暴走族ネタでね。リーダーがいつものように後から登場してきて。
田中 そう。サングラスを取って、ラメを塗った両目を見せたんだけど、なんと、つかみの「待たせたなぁ!」を言わない(笑)! あれはビックリした。
太田(ラサール)石井さんと小宮(孝泰)さんが固まっちゃって(笑)。
渡辺 あー(笑)。俺は言うことを忘れてるから、なんでもないんだよ。でも、2人は固まってるから、「あれ? 何やってるんだろう、こいつらは」って思って(笑)。
太田 あれはひどかった(笑)!
田中 みんな、「待たせたなぁ!」を一番見たいのに、本人だけセリフが飛んだんですよ。
渡辺 飛んだんじゃなくて、言うことを忘れたんだよ!
田中 それを「飛んだ」って言うんですよ(笑)。
■NHK新人演芸大賞受賞、自分たちの事務所を
渡辺(笑)。まあ、それで爆笑問題は『GAHAHAキング』では10週連続勝ち抜いて、初代チャンピオンになったんだよね。
田中 はい。そのときは、まだフリーでしたね。
渡辺 タイタンは作ってなかったんだ?
田中 はい。同時期に、NHK新人演芸大賞も受賞したんですよ。NHKと民放の賞を獲ったというんで、テレビ業界でも「もう爆笑問題を使っていいんじゃないか」っていう流れになって。それで、自分たちの事務所を作ったんです。(太田)光代社長が「私がやる!」と言って。
渡辺 彼女も、まだタレントだったよね。
田中 スッパリ辞めて、社長業を始めたんです。
渡辺 2人のためにタレントを辞めて。すごいね。みんなの人生の大きなうねりだね。俺はやっぱり、「ああ、そうなんだあ」って見てただけだけど(笑)。
■太田光の妻を連れ込んだ!?
太田 いや、見てただけじゃなくて、リーダーはタレント時代のうちの社長を家に連れ込んだんですよ(笑)。
田中 そうそう。タレント時代、『ラ・ママ』にマネージャーと見に来てたんだけど、3人でタクシーで帰る途中に口説いて。
渡辺 違うよ(笑)! 光代の家に風呂がなくて、もう夜遅くて銭湯もやってないから「うちの風呂に入る?」って誘っただけだって。
田中 もう、下心丸出し!
渡辺 下心なんてないってば〜(笑)。
太田 リーダーは酔っ払ってるし、怖くて風呂から出なかったって(笑)。
田中 1時間くらい風呂に籠ったらしい。ガーガー寝てるリーダーを確認してから逃げるようにして帰ったって。そんな社長が後に太田の奥さんになるんだから。
渡辺 さすがに太田には話さないでおこうと思ったら、全部筒抜けでさ〜。光代にテレビ番組でバラされたときは焦ったもんなあ……(笑)。
太田 ガハハ(笑)。
渡辺 まあでも、それからは、爆笑問題はどんどんテレビに出るようになって、現在に至るまで大活躍だよね。そんなお笑い界の最前線で戦う2人から見て、2020年以降のお笑い界はどうなると思う? 『M1』をはじめ、他のイベントを見てても、みんな発想はいいし、力はあるし。ものすごく研ぎ澄まされて、レベルがどんどん高くなってきてるよね。
田中 ですね〜。まず昔と比べて、もう絶対数が違いますよ。これまでお笑い界を目指さなかった才能が、バーッと来てますから。
渡辺 アイドルだって、バラエティ番組では笑わせることを念頭に入れてて、お笑いがうまくなってるし。また今はネットとか、いろんなメディアがあるしね。活躍できるチャンスが増えているとも言える。
太田 でも、逆に選択肢が多すぎて。俺らなんか、何も考えずに「テレビに出りゃいい」って思ってやってればよかったから。
田中 これからの人たちは大変ですよ。
渡辺 じゃあ、俺たちは良いときに生まれて、良いときに育ったよね(笑)。
太田 ギリギリだったかもしれないね。
渡辺 でも、爆笑問題は、これからもネタを作り続けていくわけでしょ? 自分たちの矜持として。
太田 それは『ラ・ママ』に出てたときに月1回作るという癖が、今もずっと残ってるんですよ。
田中 そうなんですよ。『ラ・ママ』のためにネタ作りをしてたんで、「来月はどうしよう?」っていうのが数年続いてたんです。
渡辺 それはつまり、俺が偉いってことかな?
太田 リーダーの唯一偉いところですね(笑)。
田中 ホントにすごいですよ。86年から30年以上続けてるのが信じられない。
太田 いまだに司会として若手芸人を見ているわけだから。
渡辺 今年の12月で400回になるんだよ。
田中 すごい。そんなライブないですよ〜。
太田 リーダーにはもう、死ぬまでやってほしい。『ラ・ママ』の舞台の上で死んでほしい(笑)。
渡辺 やだよ〜。家で安らかに死にたいよ〜(笑)。
――お笑いを、そしてお笑い芸人をとことん愛する両者。令和2年も、お茶の間に大きな笑いを届けて、日本中を明るくしてほしい!
わたなべ・まさゆき 1956年1月24日、(現)千葉県いすみ市生まれ。明治大学在学中にラサール石井、小宮孝泰と出会い、コントグループ『コント赤信号』を結成。1980年にフジテレビ花王名人劇場にてデビューし、暴走族コントなどで人気を博す。その後、『オレたちひょうきん族』など数多くの人気番組に出演。テレビ番組で活躍するかたわら、1986年からは若手お笑い芸人の育成のための場、「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。現在第一線で活躍する人気芸人を、若き日から見ている。
ばくしょうもんだい ボケの太田光(54)とツッコミの田中裕二(54)のお笑いコンビ。日本大学芸術学部演劇学科の在学中に出会い、中退後の1988年3月に結成。渡辺正行主催の『ラ・ママ新人コント大会』でデビューし、その場で太田プロにスカウトされる。1990年に太田プロから独立し、1993年に自らの芸能事務所タイタンを設立する。翌年『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』で10週勝ち抜き、初代チャンピオンになり、その後、『タモリのSuperボキャブラ天国』(フジテレビ系)でブレイク。現在は、『サンデージャポン』、『爆報! THE フライデー』(ともにTBS系)、『爆笑問題のシンパイ賞!!』『太田松之丞』(ともにテレビ朝日系)など、数多くの番組で司会を務め、大活躍している。