神社参詣の楽しみ「おみくじ」の普及は、女性の地位向上運動が関係していた

Japaaan

神社参詣の楽しみ「おみくじ」の普及は、女性の地位向上運動が関係していた

社寺参詣の楽しみの一つといえば、「おみくじ」。おみくじの由来は、古代の政治などで何かを決定するために籤(くじ)を引いたのが由来といわれています。

古来よりおみくじは重要な物事や後継者の決定をするために神の意志を聞くためのものだったそうです。おみくじを引くことで、神様に公平な判断をいただくけると考えられていたようです。『日本書記』にも、有間皇子(天智天皇のいとこ)が謀反の成否をくじによって占ったことが記されており、これが日本最古の「くじ」の記録とされています。

おみくじが現在のような形になったのは平安時代の第18代天山座主(天台宗の最高位)・元三大師(がんざんたいし)良源だとされています。良源は、別名「角(つの)大師」、「豆大師」など呼ばれ、彼自身が魔除けのお守りにもなっているという最強のお坊さんです。中国の天竺霊籤(てんじくれいせん)という占いを元にして作ったともいわれています。

自身が魔除けのシンボルにもなった良源(第18代天山座主・天台宗の最高位)

この「元三大師神籤」は、運勢や吉凶を漢詩調に詠んだもので1番から100番まであり、現代とほぼ同じスタイルだったようです。室町時代にはすでに使われていました。そのような経緯から、比叡山には『おみくじ発祥之地』と刻まれた石碑も立っています。

さて、明治の中頃までおみくじは大きな神社の一部が自前で作る程度でしたが、現在では全国でも6つの神社が製造しています。なかでも最大手は山口県周南市鹿野(かの)にある二所山田神社。なんと、全国で製造されているおみくじの7割前後のシェアがあります。

そのきっかけとなった人物が同神社の21代目宮司である宮本重胤(しげたね)。重胤宮司は、神道には本来女性をけがれとみなす思想はなかったことから、女性神主の登用を提言し、女性参政権をいち早く訴えました。

そして、女性の地位向上を目的として、明治38(1905)年に大日本敬神婦人会を設立。翌年に「女子道社」を設立し、機関誌『女子道』を発刊します。「おみくじ」は、その活動資金として充当するようになりました。

同団体は、歴史の教科書にも出てくる「青鞜社」よりも結成が早く、女性の自立を訴える組織としては、日本で最初の団体だったともいわれています。重胤宮司はさらに我国最初の自販機でもあるおみくじの自動頒布機も開発し、これを全国に普及させようとしました。

また、22代目の宮本清胤宮司はこれをさらに改良。硬貨を入れると灯ろうに灯がつき、音楽が流れ、おみくじの出る新型として販売し始めました。

アイディアマンの宮司が女性の社会的地位を向上させようと活動したからこそ、現在ほぼどこの社寺に行っても引くことができるようになったのですから、意外な歴史の流れですね。

二所山田神社

山口県周南市大字鹿野上2898
中国自動車道 鹿野ICから車で3分。
二所山田神社 公式サイト

参考

みつけて。周南。 おみくじドットコム

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「神社参詣の楽しみ「おみくじ」の普及は、女性の地位向上運動が関係していた」のページです。デイリーニュースオンラインは、参拝おみくじ神社カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る