名もなき河童の伝説…浅草の問屋街「合羽橋」の名前の由来には妖怪「河童」も関わっていた
合羽橋に行ったことがある人なら、カッパって雨天用のマントの合羽で、あの河童じゃないのかぁ…と思ったこともあるはず。

しかし合羽橋の由来には「合羽」も「河童」も両方関わっており、なんとその河童は実在していたかもしれないということを知りました。
享和元年(1801年)に水戸藩東浜で捕まったとされる河童:Wikipediaより
河童大明神が祀られている寺浅草に曹洞宗曹源寺という、通称「河童寺」と呼ばれている寺があります。そこには「波乗福河童大明神」という神が祀られていて、河童の掛け軸や絵が天井や壁にところせましと納められています。
この名もなき河童の伝説をご紹介しましょう。
江戸時代、この一帯は水はけが悪く、雨量が多いと水浸しになったり近くの新堀川という川が氾濫したりしていました。そこで文化11年(1814年)、この付近に住む雨合羽屋の喜八という者が、私財を投げうって川の浚渫工事を始めました。
工事は予定よりも順調に進み、住民達は喜んでおりましたが、あまりにも進みが早いことを喜八が不思議がっていたところ、夜間に人知れず河童らが働いていたということでした。
この河童は昔隅田川で死にかけていたところ喜八に助けられた河童で、その恩返しに工事を手伝っていたのでした。
伝説はこれだけでは終わらず、この河童たちを見た者が商売を始めるとなぜか繁盛するということで、たちまち評判になります。
住民達は新堀川にかかる橋を喜八にちなみ「合羽橋」と名付け、喜八が亡くなると曹源寺に手厚く葬りましたが、この徳をもたらしてくれた河童も同じ曹源寺に祀り、感謝したということです。

喜八の墓は今でも河童堂の前にあり、曹源寺には河童の手なるものも奉納されているそうです。喜八と河童はどのような会話を交わしたのでしょうね。今でも隅田川に河童がいたらいいなぁと思いませんか?
浅草にまつわるほっこりとしたお伽噺でした。
参考サイト:曹源寺
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